TRIPPING×TRIPPER

 俺たちは、薄汚い清潔な『店』で出会った。眠れない俺たちは、眠れる秘密を教えてもらうために、『店』に通っていた。威張った『店員』の、反吐がでそうなほど下らない質問に答えて、目的の『魔法』を買う。いつもの儀式。その『店員』は、消毒液の悪臭と白衣を纏った、セイシンカイとやらのよく分からない二つ名をもつ、チビで草臥れたジジイだった。

 六粒のカクテル・ダウナーズ。
 大音量のマリリン・マンソン。
 俺たちの黄金率。
 羽が生える『魔法』の呪文だ。

 ヨーコは今日も、サイケな海を俺と一緒に泳いでる。
 トリップしながら渋谷まで、山手線で旅をする。

「“青玉”を手に入れたッ!」
 おもちゃのトランシーバーみたいにヒビ割れた電波が、ヘドロの海に浮かんでいた俺の頭に心地よく反響する。興奮するスラング。
「どこでッ!?」
「違う『店』。通いつめて、眠れないって100回くらい連発したら渋々出したよ」
 ヨーコの息が、弾んでいる。
「『店』を変えたのか? 道理で、最近見ねえと思った」
「そんなことよりさ、今日、何時? いつもンところでいい?」
 袖を捲って腕時計を見た。最短で三十分。
「あぁ、十二時半くらいに行くから」
「早くね、待ってる」
 ヨーコの青白い顔が、暗転した液晶の向こう側に浮かんだ。

 トリアゾラム錠。
 識別コード、UPJOHNXX。
 ウルトラ・ショート。

 今ではすっかり発掘困難なジェムストーンを、ヨーコは手に入れたと云う。
 ヨーコはオトコで、本名は『洋行』。去年の夏、俺たちが一番高く飛べた熱帯の夜、奴はオンナになったから、俺はヨーコと呼ぶことにした。確か、ちょっと変わった苗字だったけど、今は思い出せない。

 深夜十二時半過ぎ。目白駅の改札前で落ち合った俺たちは、駅構内のトイレへと雪崩れ込んだ。二人で個室に入り、しっかり内鍵を閉めると、ヨーコはヘラッと炭酸の抜けたソーダみたいな笑顔を見せた。
「早くしろよ」
「褒めて。俺、エライでしょ?」
「エライエライ。……いいから、早く」
 ヨーコは、ごそごそとパーカーのポケットを弄り、輪ゴムでとめられた金と銀の中間で鈍く光る小さな包装シートの束を取り出した。思わず手を伸ばすと、ヨーコは身を捩って「ダメェ」と鼻から抜けるような甘え声で答え、媚びた上目で俺を見た。股の緩いオンナみたいだ。
 シートの透明な突起を慎重に潰して、手のひらに二粒の青玉を出す。淡い楕円形のそれを、ヨーコは二粒とも戸惑いなくポイと口に放り込んだ。
「……おい、やりすぎじゃね?」
 一粒で事足りると聞いていた。高く飛びすぎると、いろいろとやばい。
「へへへ」
 ぺろりと俺の眼の前に差し出されたヨーコの紅い舌先に、一粒だけ青玉が乗っていた。器用に舌先だけを上下にそよがせて、妖しく俺を誘う。大口を開けた間抜け顔は、まるで咥えているときのヨーコで。
 俺は、勃起した。
 青玉を舐めとり、そのまま舌を絡め合わせる。二ヶ月ぶりに味わうヨーコの舌は、ダウナーズより余程、興奮することができた。溢れる唾液を一滴残らず舐めとり、ヨーコの舌を味わい尽くす。獣のように互いの舌を貪り合ったあと、俺は勢い良く上を向いて気道を開き、青玉を胃の中に落とした。
「……ね」
 もっと、としな垂れかかるヨーコの薄い胸を押し返す。
「行こう。……終電なくなる」
 不満げなヨーコの耳元で、
「こんなとこで、俺たちが“鳥”だってばれたらまずいだろ?」
 そう言って宥めた。鳥じゃなくて、イルカでも良かったかもしれない。

 ウルトラ・ショートの効き目は早い。
 山手線に揺られながら、ヨーコは瞼を擦って、欠伸を繰り返していた。
「寝たら、意味ないだろ」
「……うん」
「我慢できるか?」
「うん、できる」
 俺のパーカーの裾を掴んで、ヨーコは頷いた。その目許は、ピンク色に染まっていた。

 井の頭通りから少し外れた、古ぼけたマンションの地下一階。どこかの物好きが開いているパーティに紛れ込む。俺とヨーコは、マリリンの海に溺れ、犇めき合っているホルマリン漬けの水死体を跨いで、適当な場所に座り込んだ。そして、ラフィング・トリップ。 死体よりも価値の無い俺たちは、色とりどりのビールの空き缶を虹色に並べて、端から順に人差し指で弾き、倒していく。缶が一本倒れるごとに、腹をかかえて大笑いした。OFFになるまで、何度も、何度も、空き缶を並べては倒し、涙を流しながら笑い転げた。

 ヨーコはいつも、無造作に折りたたんだ札束を尻ポケットから覗かせていて、俺たちは遊ぶ金に困ることはなかった。ヨーコは金にまるで執着のない奴で、電車賃すら残さずに一晩できれいさっぱり使い切る。暗がりの路地では、ちょっとした人気者だった。上客と見込まれたのか、怪しげな輩がわらわらと寄ってきて、新しい何かをレコメンドする。手に入れたそれをブリーフの中に突っ込んで、また俺たちはどこかのパーティに紛れ込む。
 グラスからスノー、スノーからクラック、クラックからスピードボールへ。
 俺たちの若い体はもっと強いインパルスを求める。高い、高い空の先にある天国まで駆け上るためには、何故だか、とんでもなく急な坂道を転がり落ちなければならない。俺たちは、鳥で、イルカで、まんまるい小石だった。

 昼過ぎに帰宅――部屋のドアを開けるなり、何かを投げつけられた。呻りをあげて俺のこめかみを掠め、壁にぶち当たって微塵に砕け散ったのは、リンゴだった。投げたのは、今時分は会社にいるはずの親父。ボウルの部分がリンゴ型のパイプは陶器製で、吸い口の具合が良くて、お気に入りだったのに。
 あーあ、やってくれたな。
 床に錯乱した紅い破片をぼんやり眺めていた俺は、いきなり胸倉をつかまれ、拳を喰らい、紙切れみたいにベッドへ飛ばされた。悪鬼のような親父の顔が、ノイズの混じるスクリーンに大写しされる。表情筋の動きから察するところ、俺に向けて罵詈雑言を浴びせかけているのだろうが、所詮、スクリーンの向こう側の話だ。聞こうとも思わないし、どちらにしろ聞こえない。口をパクパクさせているだけの親父は、まるで金魚だ。俺は、金色のコメットの尾が、水中でひらひらと揺れる様をうっとりと見ていた。
 酷く乾いた咽喉。重力に縫い付けられた身体。耳元では、日がな一日サイレンが鳴り続けていた。
 頭が、痛い。
 親父は、俺を“アディクト”だと決めつけていた。
 その日のうちにタクシーに押し込められ、親父は、俺をDARCという名の地獄に堕とした。


 反吐が出るほど浄化された空気の中、ロボットみたいにプログラムされたリズムで動く毎日。
 最後にヨーコと飛んでから、何日経ったんだろう?
 ある日、どこかの有名な代議士の息子が、薬物乱用で死んだってニュースが週刊誌に掲載された。
 ODで死ねるなんて、幸せな奴――そう思った。
 その代議士の苗字は、『由井』。
 そういや、ヨーコもそんな苗字だったっけ。
 なんだ、どっちで呼んでもオンナじゃないか。
 あいつは、どんな顔をしていたっけ?
 薄茶色の髪と?―――髪と、理科室の骨格標本に皮を貼りつけような身体。針金のように細くて白い腕に浮き出た、静脈の筋。真っ白な背中は、貧相だったけど綺麗だった。俺を飲みこんで震える、小さな尻。どんな体位も嫌がらなかった。
 それから?
 必死に、砂の嵐に埋もれようとするモノクロームの映像を再生するけど、淀みきったレコーダーにヨーコの鮮明な姿は記録されていなかった。
 のっぺらぼうのヨーコが、俺の周りを徘徊している。

 フラッシュバックか、夢なのか、どちらかはわからない。俺の妄想の中に現れたヨーコは、背中に黒い翼を生やしていた。コウモリではなく、カラスの翼だった。その翼が羽ばたくことはない。だからヨーコは飛べない。だのに、夥しい量の羽を枯葉のように散らしている。俺は、その羽を拾い集めて、布袋に詰めた。なぜだか枕を作ろうと思って、必死に拾い集めた。詰めても詰めても、針のように尖った羽毛の根元が、布袋を突き抜いて次々飛び出してくる。まるで針山だ。この枕では、寝れない。
 俺は、泣いた。大声で泣いた。

 ヨーコ。
 俺は一緒に飛べなかったけど、お前の瞳の奥に広がっていた無秩序で虹色の世界に恋していた。
 今はただ、お前の舌が恋しい。

-end-

参考資料:「危ない薬」(青山正明/データハウス) |「チョコレートからヘロインまで」(A.ワイル/第三書館)他
PAGETOP