Blond-y

 部屋から出た途端、神藤は新実の護衛に徹し、周囲に眼を光らせながら片廊下を歩いた。
 深夜二時を少し過ぎたばかり――夜空は、歌舞伎町のネオンを映して残照のように明るい。エレベータを待つ間、混沌と建ち並ぶ雑居ビルの灯火をぼんやりと眺めていた新の鼻先で、新実がひらひらと手を泳がせた。
「本告さん、一体幾ら抜いたんです? 四、五半荘打ったんでしょう?」
「さあな。数えてねぇ」
「そんな馬鹿な」と、新実がせせら笑った。
 高校生の時分から、宇田川会秘蔵の《代打ち》として辣腕を振るってきた新が、勝敗を把握していない筈は無い。点数を計算するのは、雀士の身体に染み付いた癖のようなものだ。
「本告さんの腕なら、ざっと百くらいですかねぇ。後で精算して山岸にでも渡しておきますよ」

 地下駐車場まで降りると、タイミングを計ったように黒塗りのベンツが音も無く二人の前に現れた。運転席から如何にも三下といったチンピラ風情の男が、神藤にキーを差し出す。神藤は無言でキーを受け取り、後部座席のドアを開けて腰を落とし、新実に黙礼した。
「どうぞ、本告さん」
 新実は、淑女でもエスコートしているかの身振りで、新を後部座席へと誘った。

 革張りのシートに腰を落ち着けるなり煙草を探してポケットを弄る新に、新実が一本の両切り煙草を差し出した。
「やりますか?」
 いらねぇよ、と忌々しげに言い捨て、ポープの小箱を取り出す。両切り煙草を鼻孔に押し当て、新実は、その香りを楽しむように胸を逸らせて大きく息を吸った。
「……マリファナですよ、これは。五年前、ご一緒しましたよね? 本告さん、お好きでしょう?」

 宇田川系の若い衆を集め、組織の社交場で催された五年前のドラッグ・パーティー――新実が暗に仄めかしているのは、このパーティのことだ。
 スピリタスウォッカとマリファナですっかり正体を無くした新には、断片的な記憶しか残っていない。しかしつい先日、老松の口からその醜態ぶりは語られた。

 計算尽くの、精神を追い込んでいくような話術に、新の苛立ちは高まる。訳知り顔で微笑む新実に冷ややかな一瞥をくれ、新はポープに火を点けた。
 新実は、別室で交わされた老松と新の情事を、まるで知っているかのようにクスリと含み笑いを漏らして、マリファナを胸ポケットに収めた。

 首都高に入り、車は、犇めき走るトラックとタクシーの狭間を縫うように進んでいった。
 時折、新の顔を覗き見ては、話し掛けるでもなくただニヤついた笑みを浮かべる新実の行動は、いちいち新の神経を尖らせた。
 新実の表情の陰には、明らかな敵意が見て取れた。
 組織内で、新と新実の関わりは皆無に等しい。代打ち相手に何を苛ついているのか、新にはその真意を推し量りかねた。

 湾岸線を抜け有明十三号地のインターを降りると、車は、埠頭の倉庫街に入った。辺りに人影は無く、車のライトだけが、漆黒のアスファルトの上を二匹の生き物のように這っていく。
 二人を乗せたベンツは、真新しい四階建てのビルに併設された駐車場に滑り込んだ。

「小さいですが、ここはウチの所有なんです。水の傍ってのはね、何かと便利なんですよ」
 新実が言い終わらないうちに、新は自らドアを開け車外へと出た。見上げたビルの四階からは僅かに明りが漏れている。静寂が一帯を押し包む深夜の倉庫街で唯一、人の気配を匂わせていた。
 金髪が、ここにいる。
 新は、きつく眉根を引き寄せた。抗いようの無い、憎しみに近い感情が新を支配していった。

 品の無い花柄の壁紙を、シェルを象ったガラス製の間接照明が照らし出している。毛足の長いラグの上には大理石風のテーブルセット、ガラス張りのバスルーム。部屋の中央には、シーツの上に夜具の散乱したキングサイズのベッドが鎮座していた。
 内装だけを見れば一昔前のラブホテルだが、天井は異様に高く、壁の一片はグレーのホリゾントで覆われている。部屋の隅に乱雑に積み上げられたアルミ製のカメラケース、壁に立掛けられた大型の三脚、フラッシュ用のブラケットと銀色の傘、照明用の機材――素人目にも分かる、どれもプロの使用するものだ。

 蒸気で曇ったバスルームから水音が聞こえる。神藤は、性急に上着を脱ぎ捨て、バスルームへと向かった。

「どうです? 安っぽく見えても、結構カネかかってンですよ、ここ」
「あのビデオ、ここで撮影したんだな……」
「そうですが、あれはカメラマンを使ってません。酷い絵だったでしょう?」
 新実がそう言った矢先、戸田が赤い髪から水滴をしたたらせ、バスルームのドアから逞しい半身を覘かせた。
「あ、匡次さん、すいません。コイツ、失神しちまってもんで」
 続けな、と戸田に顎をしゃくり、新に向き直って、
「本告さん。まぁゆっくり見物、といきましょうや」
 新実は、壁に埋め込まれた小さな冷蔵庫から缶ビールを二本取り出し、その一本を新に手渡すと、ソファに悠然と腰を降ろした。
 バスルームのドアを凝視したまま動こうとしない新の横顔を、新実は訝しげに眺めていた。

 神藤が金髪の少年を抱きかかえ、バスルームから姿を現した。
 深い藍青の瞳、目線は虚空に縫い止められ、四肢は力無くダラリと垂らされている。およそ人間らしい表情の変化は無く、出来の良い人形だと言われれば、誰でも手を伸ばし皮膚の感触を確かめてみたくなるだろう。
 少年らしいしなやかさと不安定さを併せ持った華奢な体躯――全身濡れそぼっていても貧相に見えないのは、水気を含んで輝きを増した金髪のせいか。ほんのり桜色に上気した皮膚の色が唯一、少年の「生」を証明しているかのようだった。

 神藤が抱き人形を寝かしつけるように、少年をベッドの中心に降ろす。
「綺麗でしょう?」
 と、自慢げに話しかける新実の声は、新の鼓膜をすり抜けた。

 新は、少年を目の当たりにしてから、心が急速に苦く冷めていくのを感じていた。
 一体、何をしにここまでやってきたのか、少年と相見えたからといって、何の意味があるのか。冷静を失っているのは、愛生より自分の方ではないか――?
 不意に馬鹿馬鹿しくなり、少年から視線を逸らす。新は、缶ビールのプルタブを勢い良く引き開けて一息に呷った。

 戸田が身体をバスタオルで拭いている間、少年はただ四肢を投げ出して、虚無の眼差しで天井の一点を見つめていた。
「そのうち、面白いものが見れますよ」
 新実が意味有り気に言う。新は、酷く投げ遣りな気分になり、脱力したように壁に凭れた。
「ブロンディ……本名か?」
「まさか。金髪だからブロンディって愛称なんでしょうが……アメリカ人ってのは全く単純ですよね。本名はショーン・モディンですよ。もう暫くしたら北村ショーンになります。戸籍を買って日本人の養子にするんです」
 少年に『名前』があることすら違和感を感じる。如何にもアメリカ製の着せ替え人形のような、ブロンディという愛称の方が、新には余程しっくりきた。

 すっかり衣服を脱ぎ捨てた神藤が少年に圧し掛かり、ギシリ、とスプリングが軋む耳障りな音が響いた。
 耳朶から首筋、薄い胸へ――舌と指を駆使して、神藤は慣れた様子で少年に愛撫を施していく。淡く色付く箇所を舌で苛むと、少年の指先がピクリと微かに反応した。
 一方で戸田が、少年の内股を撫で上げながら、同時にその中心を緩々と扱く。
 少年の睫毛が微かに震え、やがてその瞳に、ゆらりと淫靡な輝きが宿る。白く細い双腕が伸び、快感を促す者を探るように、少年は頻りに両手で空を弄った。

 「生」が与えられた一瞬。
 新は、眼を見張った。

 神藤は半身を起こし、少年の首を跨ぐように膝を立てた。金色の頭をもたげ、躊躇い無く神藤自身を口に含む。依然として表情は無く、そのくせ生々しく赤い舌を唇から覘かせながら少年は、深く浅く、律動を繰り返し神藤を昂りへと導いていった。

「よく調教された犬でしょう? 彼にとってペニス、イコール咥える物なんです。思考能力は皆無でも、快感には従順なんですね。咥えれば、自分も気持ち良くしてもらえるってことが解ってンですよ。仕込めば『お座り』だってやるでしょうね」
 嬉々として話しかける新実に、解説はいらねぇよ、と声に怒気を漲らせて吐き捨てる。
 一度は視線を逸らした。だが新は、ベッドの上で息衝き始めた人形に、再び眼を奪われていた。

 戸田と神藤の動作から、余裕が消えた。愛撫はますます執拗さを増し、熱が篭った。すでに少年の中心は精が出口を求めて憤り、透明な液が溢れ出していた。
 全身をわななかせ、浅い呼吸を繰り返し、時折、か細い嬌声を漏らす。快感と苦痛の綯い交ぜになった少年の表情は言いようの無い淫猥さで――新は、息を呑んだ。

 堪り兼ねた様子の戸田が、サイドテーブルの引出しから透明なチューブを取り出した。ゲル状の液体を手のひらに搾り出し、両手を軽く擦り合わせながら戸田が目線で合図を送ると、神藤は小さく頷き、少年の身体を軽々とうつ伏せに返して腰を高く上げさせた。まさに犬のような、四つ這いの体勢だ。
 戸田は、充分に時間をかけて少年のきつく閉じられた窪みに指を差し入れていった。

「アッ……! アァ……」
 絶え間なく低く呻いていた少年が、初めてくっきりと聞き取れる嬌声を上げた。
「義直。コイツ、イッちまうから、根元おさえてな」
 戸田がそう言うと、神藤は少年の背を覆うように身を被せ、腰に手を回して性器の根元をしっかりと掴んだ。少年はシーツに突き立てていた双腕をガクリと折り、尻だけ突き出した不自然な体勢で、顔中に苦悶の色を刷かせ、押し寄せる快感の波をやり過ごしていた。

 眼を細め、光景に魅入っていた新実が、思いついたように、
「喘ぎ声がね、ちょっと外人臭いんです。これでも大分マシになったんですが……日本人にはどうにも受けが悪い。萎えるって輩がいましてね」
「……いい加減、黙んな」
 くつくつと笑いながら立ち上がり、
「そのうち、可愛く鳴くようにしてみせますよ」
 新実は、冷蔵庫から二本目のビールを取り出した。新の手から抜き取った空き缶を無造作に床に転がすと、代わりに新しいビールのプルタブを開けて新に渡し、ソファには戻らずに新の傍に居を定めた。

 抜き差しを繰り返す指の本数を増える度に、少年の腰が妖しく揺れる。
「もういいかな……栄進、お前行け」
 神藤は、戸田と入れ替わりに少年の背後に回った。脇腹を掴んで腰を高く引き上げ、狙いを定める。ゆっくりと落とし、聳り立った欲望を突き入れていく。
 少年は胸を弓のようにしならせ、声にならない悲鳴を上げた。
 すっかり行為に没頭し、少年に腰を打ち据える戸田。神藤が、少年の顎を強引に引き上げて、その口に無理矢理自身を押し込もうとしたその時、鋭く新実の怒声が飛んだ。

「義直、退けッ! ……本告さんに、ソイツのイク時の顔を見せてやりてぇんだ」
「……分かりました」
 神藤は素早く身を引いて、新の視界を遮らないよう戸田の横に回った。少年と自身のそれを扱き始める。

 戸田の突き上げがさらに激しさを増した。
「ウッ、アゥッ……」
 前後から激しく攻め立てられ、一層に仰け反る。
「アァァ……ッ!」
 きつく閉じられていた双眸が、大きく開かれた。
 瞬間。
 少年は薄い唇の端をほんの少し歪め――確かに、笑った。

 無意識に新は、ビールの缶を握り潰した。パキン、という音と共に缶は拉げ、飲み口から大量の泡が溢れ出す。その音が合図とでも言うように、戸田は少年の中に精を放ち――やがて神藤も果てた。

 眉間に深く皺を刻み、微動だにせず少年を注視する新の横顔を満足げに眺めながら、新実は言った。
「見ましたか? ほんの一瞬でしたが……。コイツは、イクときだけ笑うんですよ。物好きはね、この微笑が見たくて数百万の金を積むんです」

 憎悪なのか――交錯した感情のうねりが、内面から突きあがる。
 新は、この金髪のセクサロイドに対し湧き上がった己の感情を、理解することはできなかった。
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