「吹かすなよ……肺一杯吸い込め……。煙草じゃねぇんだからな」
 新は言われるまま眼を瞑り、通常より太めに巻いたジョイントを、深呼吸するように勢い良く吸い込んだ。大量の酸素が流れ込む先端がちりちりと焼けて、暗い室内に蛍光色が瞬く。
「そのまま……! 限界まで息を止めてろ」
 煙草を吸うような感覚で、すぐに煙を吐き出そうとした新を静止する。新は、クッと鼻腔から微かな呻きを漏らし、胸を反らしたまま体を硬直させて少し驚いたような目付きで俺を見た。
 見開いた双眸がやがて苦しげに伏せられ、眉間に皺が寄るのを見て取ると、俺はようやくと新を解放へ導く。
「ゆっくり吐き出せ……そうだ、ゆっくり……」
 素直に俺の言うことを聞き、口を窄めて糸を紡ぐように少しづつ煙を吐き出していく。新は、肺の酸素を全て搾り出すと、ドサリとソファの背凭れに身を預け、酸欠に喘ぎもう一度大きく息を吸い込んだ。新の口許に張り付いた葉の欠片を、親指で拭い去ってやる。

「どうだ?」
「……ヘンな味だな」
 たった今、ガソリンのようなスピリタス・ウォッカをグラス三杯空けてきたというのに、新の表情も、その口調にも全く変化がない。流石に、胃に流し込むときは咽の焼ける痛みに顔を顰めていたが。
 俺も酒量には限度を知らない男だという自負はある。しかし、新も底なしだ。

 酩酊した新を一目見たいという興味に駆られ、随分と盛り場を引き摺りまわしたが、新を酔い潰すという企みは成功したためしがない。酒に飽きると、いつの間にかフラリと姿を眩ましてしまうからだ。
 酒も、麻雀も。抱かれているときでさえ新は冷めている。
 もう八年もこの特殊な関係を続けているというのに、欲望へ自我を投じた新を見たことが無い。流されそうになる己を戒めるようにギリギリのところで歯を食い縛り、声を漏らさずに鳴く。その危うさが一層俺を煽り立て、快感に我を忘れさせてやろうと半ば躍起になって愛撫を施す俺は、傍から見ればさぞや間抜けな姿だろう。

 同席していた若衆の殆どは、すでに出来上がっていた。
 壁に向かって独り言を呟き続ける者、威勢の良い戯言を大声で喚きたてる者、連れ込んだ女に突っ込んでよがる者。
 夜目を凝らせば、自ら持ち込んだアシッドやコークに酔い痴れ舞い上がってる者が幾人か見て取れる。奴らはドラッグの常用者――つまり落伍者だ。
 ドラッグに溺れるようではヤクザは勤まらない。俺のふとした一言に賛同した親分衆が、見込みのありそうな若者を招いてこのパーティーを開いたのだ。『たかがドラッグ』で人生を棒に振ってしまうような輩は、所詮、その程度の器でしかない、ということだ。
 無論、新は幹部候補でもなく、構成員ですらない。俺が『代打ち』風情の新を、このパーティーに紛れ込ませたのはもっと単純な理由からだ。

 独特の匂いを放つ白煙に燻され目を細めている新を見て、俺は思わず含み笑いを漏らす。
 新を狂わせてみたい、それだけだ。
 俺にとっては、新こそが麻薬だった。

「もう一度吸ってみろ。さっきの要領でな」
「変わんねぇよ……。俺には効かねぇんじゃねぇ?」
 新は小さく舌を打ち鳴らし、訝しげにジョイントの火先を見遣ると、さもつまらなそうな口調でそう言った。
 イリーガル・ドラッグの恩恵を受けて、己がどう変貌を遂げのか、全く興味がないのだろう。
 否、興味も何も、新にとって意味を為すものなど、この世に存在しないとすら俺は思っている。
「焦るなよ。これからだ」
 吸い始めてから、すでに数分が経過している。いくら酒豪とはいえ、アルコール度数九十六度の、最強の酒を三杯も飲んだ直後だ。効果は素面よりはるかに高いだろう。

「アンタはヤんねぇのかよ?」
「マトモな人間が多少は残ってないとな……。マズイんだよ、こういう場は」
 へぇ、と気のない相槌を返し、新は再びジョイントの吸い口を咥えた。
 冷静に観察しているつもりの俺も、咽るほど充満した副流煙で、気を抜けば意識を飛ばしてしまいそうだった。俺はウィスキーのグラスを缶ビールに持ち替え、努めて冷静を保ち、新の変化を窺っていた。

 足元の間接照明に煽られ、ぼんやり浮き上がる新の唇が、何か言いたげにピクリと動いた。
 思考することを忘れたような表情のない顔。風景を映しているだけの瞳。
 常ににやけた笑みを口辺に刻んでいる新が、空虚の深淵へと沈んでいく瞬間を、俺は愛していた。
 セックスの後にしか――多分、俺にしか見せない顔だからだ。
「咽、渇いた……」
 独特の渇きだ。水分を取っても癒されない、そう分かっていても、俺は無言でテーブルの上のペットボトルを新へと差し出した。新は、慌しくキャップを外し、一気にミネラルウォーターを咽奥へ流し込んだ。溢れた液体が、新の細い顎から咽の突起へと伝い、胸元を濡らす。
 あの咽に思い切り噛み付いてやりたい。血が流れるまで屠ってやりたい。
 俺は耐えがたい欲求に駆られた。どうやら、漂う白煙が俺にもアップ系の作用をもたらしているようだった。

「すげぇや!俺の目玉だけが浮いてて……体がどっかいっちまった……! ハハハ……」
 恐慌状態に陥るのを心配していたが、新もハイに飛んだようだ。
 新は、すげぇ、すげぇ、と連呼しながら、プロジェクターから白い壁面に映し出されている無修正のアダルトビデオを、瞬きもせずに眺めている。肌色が妖しくまぐわう映像が、新の瞳にはどう映っているのだろうか。
「……俺……たよ」
「なんだ?なんか言ったか?」
「俺、勃っちまったよ……!」
 唖然とだらしなく口を開いた俺の顔を指差し、新が高らかに笑い出した。やや充血した眼に涙を浮かべ、身を捩って笑い転げている。
「そんなに面白いか?」
 俺も釣られて笑った。今まで、あれやこれやと試行錯誤しても見ることの出来なかった新の姿が、眼の前にあったからだ。新は、一頻り笑った後、息苦しさに胸を押さえ浅い呼吸を繰り返した。
「……な?体中の血がさ、ココに集まったみたいだろ?」
 思わず、息を飲んだ。
 新が、俺の手を取りゆっくりと導いたのだ。張詰めた、自身のペニスに。
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