スウィート・キャンディーズ

 ゲームセンターを出てからずっと、純生はさも嬉しそうにニコニコと微笑み、携帯を握り締めていた。

「純生、気持ちわりぃぞ」
 見兼ねて、光彦が口を開く。
「だだって。僕たち、こういう友達っぽいことするの初めてじゃない?なんとなく嬉しくて……」
「友達が『裏プリ』するか?嬉しいのか?ヤローばっかりのプリクラが」
 畳み掛けるような嵐の口調にシュンと俯き、純生は名残惜しそうにしながらも、携帯をブレザーのポケットに仕舞った。
 急場しのぎのこととはいえ、嵐は『プリクラ』如き軟弱なモノに手を染めてしまった自分に腹を立てていた。バッテリーの裏に貼ったのも、万が一誰かに見られたら見っとも無い、というのが第一の理由で、別に『裏プリ』がしたかったわけではない。

「……ねぇね、今日は誰の家に行くの?」
 気を取り直して、純生。
「俺ん家はダメだ。狭いし汚いし万年床だし六時過ぎると客がうるせぇし、ヘタしたら店、手伝わされっぞ」と、光彦。
「俺の部屋、<離れ>で快適だぜ。中間地点でいいんじゃないか?」
「じゃあ、嵐の家で最後の酸素補給だね。わぁ、行くの初めて」
 純生は、期待に心を弾ませて頬をばら色に染めた。

 駅を出て、西口商店街。
 途中、光彦は『よっちゃん』の裏口から持っていた荷物を無造作に投げ入れた。
 それから歩いて三分。

 塩田邸『建売り土地付一戸建』の門を開けると、お世辞にも広いとはいえない庭にどどーんと幅を利かせるユニットハウスの前で、嵐は足を止めた。ごそごそと内ポケットを探り鍵を取り出す、嵐。

「えっ?これが嵐の部屋?……<離れ>って……」
 所詮、お坊ちゃん育ちな純生である。目の前の物置ライクな箱がまさか嵐の部屋だとは思いも寄らず、驚いて目を見開いた。
「ああ、俺ん家の二階、兄夫婦に占領されてるからな」

 嵐をこんな体にした元凶である兄『修也』は、ちゃっかり普通のサラリーマンになり、ちゃっかり三年前に可愛い嫁まで貰って、一昨年に双子の男の子の父親になっていた。そうして増殖した兄一家は、中学一年まで嵐の部屋があった二階を占拠したのである。
 昼夜問わず100デシベル級の騒音を発する嵐は、中流家庭の象徴のような狭い母屋に於いて、極めて迷惑な存在であった。(そう育てたのは誰だ、という話はおいといて)
 中学二年生の時、庭にユニットハウスを与えられ体良く追いやられたのだが、しかし嵐は、気兼ね無くヘヴィメタできるこの環境に大満足していた。

「――まぁっ! まぁまぁまぁ!」

 高い位置から甲高い声が響く。三人が声のした方角を見上げると、洗濯物を抱えた嵐の母、『朋子』が二階のベランダから身を乗り出していた。

「ランちゃん……っ! お友達? ……お友達なのねっ!?」
「あぁ、なんか飲み物頼む」
 光彦と純生はペコリと頭を下げた。

 朋子は暫く、三人の姿を気抜けしたように眺めていたが、やがて取り込んだばかりのタオルで「ウッ」と目頭を押さえた。何しろ、嵐が友人を部屋に招き入れるのは、小学校入学以来初めてのことである。
 我が息子はどう贔屓目に見ても、他の子供達から明らかに(激しく)浮いており、朋子は『恐がられていないか』、『イジメられていないか』と、長らく胸を痛めてきたのだ。待ちに待った友人の来訪に、まさに感慨無量、といった面持ちで、部屋に入っていく三人を見つめていた。

「ただいま」
 安っぽい外観のユニットハウスに似つかわしくない、妙に厚みのあるドアを開け、いきなり嵐が帰宅を告げる挨拶をする。
「オイ、誰に云ったんだ?」
 光彦はヒョイと首を部屋に突っ込み、誰も居ないことを確かめた。
「マイケルに」と、自然体で嵐。
 部屋に入るなり有無を言わさず目に飛び込んでくる、ドアの真正面にデカデカと貼られたB全大のポスター。それは紛れも無く天才ギタリスト、マイケル・シェンガーの勇姿であったが、二人はその外国人が誰かなど知る由もない。嵐が神と崇めるマイケルの御尊顔を拝するのは、これが始めてであったのだ。

 光彦は、靴を脱ぐと無遠慮に上がりこみ、適当な場所にドカリと胡座をかいた。
「お……じゃまします……。なんか緊張しちゃう」
 光彦の後からおずおずと入ってきた純生は、隅っこにチョコンと正座をし、キョロキョロと視線を彷徨わせ落ち着かない様子である。
 嵐はフライングVを丁寧にケースから出しスタンドに立てると、上着をハンガーにかけた。
 窓を開けると、僅かに桜の香りを孕んだ風が通り、篭った空気を一掃する。

 改めて辺りを見回す二人。
 外観より広く感じる六畳ほどの室内は、純生と光彦にとって物珍しいアイテムのオンパレードであった。

 部屋の一角を占領する本棚には、嵐の几帳面さを伺わせるように整然と雑誌類が並んでいる。天井まで届く巨大なCDラック二つと、アナログ用ラックが一つ。フライングVと、ストラトタイプ、アコースティック、ぞうさん合わせて四本のギターと、一本のベース。持ち歩いているミニアンプの数倍はある巨大アンプと、オートチューナー、配線エトセトラ。勉強机は見当たらず、代わりに古めかしいステレオセットと、その脇にはCD/MDコンポが据えられていた。四つのスピーカーは天井の四隅から生えている。

 ぴっちりと角を揃えて積み上げられていた、本棚から溢れたらしき雑誌の山に興味を持った純生は、一番上の一冊を手に取った。

BURRN!

「うわ、なに? これ!」
 嵐そのもののファッションに身を包んだ目つきの悪い長髪外人が表紙を飾っている、スプラッター映画パンフ顔負けのデザインに、純生は思わず吃驚の声を上げる。
「ラウド・ロック専門誌。順番変えるなよ、特集ごとに整理してあるんだから」
 純生は嵐の顔色を窺いつつ、そろそろと雑誌を山に戻した。
「……で、あの世界恐竜マップみてぇなのは、なんなんだ?」

 ポスターの合間に貼られている二つ折りにされた模造紙には、紙面中、所狭しとおどろおどろしいロゴマークが犇めき合っていた。

「ヘヴィメタ分布図。五年前に兄貴と作ったんだ」
「……分布してるのか?ヘビメタは」

←ヘヴィ・メタル/ハード・ロック→

 と、紙の中央には書かれており、左半面ヘヴィ・メタル側には、『NWOBHM(ニュー・ウェイブ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル)』、『デス・メタル』、『スラッシュ・メタル』、『LAメタル』…とさらに細かく区分けがなされている。それぞれの囲みの中には様々なバンド名が連ねられていた。

「……奥が深いんだね、ヘヴィメタって」
 感心した声音で、純生。
「まぁな。これ作るのに、ここにあるCD全部聴いたんだぜ」
 嵐は自慢げに、フフンと鼻を鳴らした。

 トントン、と軽くノックする音と同時に、トレイを持った母、朋子が開け放しのドアから顔を覗かせた。
「いらっしゃい。始めまして、ね?」
 朋子は満面の笑みを浮かべ、おっとりとした口調でそう云うと、光彦と純生の顔を交互に見た。その表情は、未だ夢見心地のようである。

「……どうも」
 嵐の母とはいえ、女性を前にして体を強張らせる光彦。
「はは……始めまして……」
 初対面の朋子に、上がりまくる純生。

 朋子は、部屋の中央に置かれた小さなガラステーブルにコーヒーカップを並べ終えると
「お二人のお名前は?」
 と、尋ねた。

「ね、根岸す純生です……よろ、よろよろ……」
「江坂光彦です。お邪魔し」
「まぁー。じゃあ、ランちゃん、スーちゃん、ミキちゃんなのねぇ。可愛いわぁ、キャンディーズみたい」
「いや、俺は光……」
「うちの嵐は少しヘンかもしれないけど、これからもお友達でいてね。お願いね」
「いや、だから俺は光……」
「嵐は学校ではどうなのかしら?嫌われてない?恐がられていないかしら?」
「……お袋、もういいって」
 少し苛ついた声で嵐がそう云うと、「あら、私ったら」と朋子はトレイで口元を隠し、頬を赤らめた。
「ごめんなさいね、長居しちゃってぇ。だって、お母さんあんまり嬉しくって……。スーちゃん、ミキちゃん。どうぞごゆっくり」

「ごめんなさい」と「ごゆっくり」を繰り返しながら、母、朋子はいそいそと部屋を出て行った。

「……ミキちゃん」
 光彦が呆然と呟く。
「ウチのお袋はあんまり人の話を聞かないんだよ。お前は今日から『ミキちゃん』だ。悪いな」
「…………ミキちゃん」
 光彦は難しい顔付きで腕組みをし、もう一度その名を呟いた。我こそは男の中の男、と自負していた光彦にとって、女名で呼ばれたことは少なからずショックだったのだ。
「光彦、気にしないで。僕だってスーちゃんだし」
 純生に慰められて、さらに落ち込む光彦。

「お袋、おっとりしてるけど、ああ見えて俺らの歳で兄貴を産んだんだぜ」
「十六でっ!?」
「……そりゃすげぇな。道理で若い筈だ……」

「なぁ、そんなことより、マイケル聴かないか?俺、今日一日でストレス溜まっちゃってさ」

 休み時間に嵐のヘッドフォンから漏れるシャカシャカ音で、漠然とその曲調を解していた二人は改めて聴くまでもないと思ったが、この部屋の主は嵐、云うなれば城主である。いつもより、なんとなく威張った雰囲気の嵐に逆らう気も起きず、無言を通していた。
 その反応をイエスととった嵐は、ドアと、部屋の二重サッシを閉め厳重にロックする。
「ここは雪国か?プレハブに二重サッシはねぇだろ」
 部屋に足を踏み入れた瞬間に理由は計り知れたが、光彦は一言突っ込まずにはいられなかった。
「この部屋は防音仕様なんだ。じゃぁ、一番オススメなヤツな」
 嵐は見るからにウキウキと、ズラリと並んだCDから一枚を選び、コンポにセットした――。





ジャジャーンジャカジャカジャカジャカドドドドドドドドコドコドコドコキュィ~ィィ~~ン「な、これが『ギターが泣く』ってヤツだよ」キュキュキュイ~~~ンドドドキュィ~ィィ~~ン「なーにー? きこえないよぉ~」キュキュキュィィ~~ンジャッジャッジャッジャキュキュワワワ~~ン「うるせぇぞーっ! 嵐っ! 音量下げろ~!」ギュィキュドコドコドコドコ「ここ、ここから。マイケルの神業」キュキュィィ~~ンジャキュキュワワワ~~ン「鼓膜やぶれちゃう~」ドキュィ~ィィ~~ンドコドコキュキュキュイ~~~ン「な、すごいだろぉーっ?……

……いきなり止めるなよ。光彦」
「聴くに耐えねぇ。いい加減にしろ」
 リモコンを片手に、喧嘩上等で光彦。
 一瞬、二人の間に緊迫した空気が流れたが、流石に嵐も、光彦に飛び掛る気はないようであった。
 一方純生は、首が据わらない乳幼児のように頭を揺らして、完全に目を回している。
「……いるんだよな、芸術の分かんないヤツって」
 嵐は小バカにしたような一瞥を光彦に投げて、小さく溜息をつくとCDを仕舞った。
 その鷹揚な態度に、光彦はムッとしたが、毛細血管の隅々までヘヴィメタな嵐に何を云っても無駄だろうと思い直し、徐にブレザーの内ポケットから小さな箱を取り出した。

「煙草、いいか?」
「あぁ、兄貴の灰皿がそこに……吸うのか?」
 仰天して、光彦の顔を見遣る嵐と純生。
「なんだよ、中学ン時からじゃねぇか」
 光彦は片眉を吊り上げながら、 『峰』と筆文字で書かれた金色の箱の蓋を開け、軽く上下に振り、飛び出た一本を器用に咥えた。その様子をまじまじと観察しつつ、嵐が灰皿を差し出す。
「僕も全然知らなかった……時々煙草の匂いがするのは、お店が居酒屋さんだからかなぁって……」
 百円ライターを取り出し、慣れた手つきで火を点けると、光彦はゆっくりと煙を吐き出した。初めて見る光彦の喫煙する姿に目を奪われ、嵐と純生は固まったように動かない。

「――今まで、土日や長い休み、どうして平気だったんだろうなぁ」
 記憶を手繰っているような遠い目をして、光彦が云った。
「……そうだな。今思えば、教室で絶対会えるって安心感があったのかも」
 光彦の声に、我に帰った嵐。
「学校が変わったわけでもねぇのに、この体たらくか。俺らの九年間は、そんなに密度の濃いモンだったか?」
「わかんない……傍に居るのが当たり前すぎて……本当に空気みたいで」
 純生は、正座を崩し体育座りで膝を抱え込んだ。
「だから酸欠か……。なんなんだろうな、三人して」

 ヒロイン純生も。光彦の寝起きの悪さも、煙草も。嵐の生態も。
 ここ二日で初めて知ることとなったのである。
 三人は、お互いが自分にとってどういう存在であるのか、心の淵を探り、随分と長いこと思惟に耽った。

 しかし、その答えを誰一人見つけることはできなかった。

 ひとしきり考え込んだ末、三人は諦めて、ほぼ同時に冷めたコーヒーをすすった。
「……ねぇね、小二の時の担任の先生、覚えてる?」
 切っ掛けを作ったのは、純生。
「あぁ、木内だろ?」
 と、嵐。
「いたなぁ、いっつも竹刀担いでた体育会系の、通称ジャージッパゲ」
 と、光彦。

 三人は、堰を切ったかの如く次々と溢れ出した、小中学校時代の些細な思い出を語り出した。
 しみじみと昔を振り返っては、時折、大声で笑い合い、すっかり暗くなるまでの時間を過ごしたのである。


 心配した母が部屋に訪れる頃。
 当初の目的であった『酸素補給』は、三人の頭の中から綺麗に忘れ去られていた。
 光彦と純生は、妙に清々しい気分で嵐の部屋を後にした。もちろん、残された嵐も同様に気分は上々で。

 ――こうして、三人の波乱万丈な素潜り生活、第一日目は、幕を閉じたのである。
PAGETOP