PRINT☆CLUB サーキット

 翌日。
 嵐の苦肉の策、裏プリ効果の程だが――。

 光彦は『そのうち慣れる』説の提唱者であったので、裏プリ如きで酸欠が治ってたまるか、と半ば意地になって授業に臨んでいた。
 気が向けば授業を聞く、向かなければラジオ、というのが本来の姿勢であるので、その内容が頭に入らなかったからといってどうということは無い。私大理科クラスは、数えるほどしか女生徒が在籍しておらず、光彦にとっては快適な環境なのである。
 ――が、(教頭に念を押しておいたものの)純生が授業中、指されたりしていないか気を揉んでみたり、ふと気付けば金髪の後ろ頭を探して、視線を彷徨わせていたりする。果ては、昨日の懐かしトークを思い出しては垂れ下る目尻に気付き、慌てて顔の筋肉を引き締めてみたり。
 息苦しくて耐えられない、という程ではない。多少無理をすれば一日乗り切れるし、下校の際には「嵐、やっぱり意味ねぇじゃねぇか」と、したり顔で苦言を呈したいところであったが――痩せ我慢も馬鹿馬鹿しく、効果の程を確かめたい欲求にも駆られて、ついに光彦は五時間目に携帯のバッテリーを外した。
 頬杖をついて裏プリを一目すると、小さく溜息を漏らし窓の外へと意識を飛ばした。嵐と純生の間抜けた顔をチラと見るだけで、自然と口の端が緩んでしまう己が不甲斐ない。当然、にやけついでに息苦しさも緩和される。

(――俺って、こんなキャラだったか?)

 そんな自問を繰り返す。元来、自分本位で冷徹な人間だと自らを評価していた光彦にとって、この変化は衝撃だった。中等部時代からなんだかんだで純生の世話を焼いていたし、嵐の買った喧嘩にも手を出して、充分に情深い光彦なのだが、どうやら自覚はないらしい。いや、嵐と純生以外には必要以上に自分本位で冷徹なのだが。


 純生は、我慢する気などなかった。
 バッテリーを額に入れて机上に飾っておきたいくらいであったが、そこは小心翼翼とした純生のこと。在らぬ誤解を招いてクラスでの立場を悪くしては本末転倒、机の中にこっそりと、携帯から外したままのバッテリーを潜ませていた。
 選抜クラスの授業は、実際、かなり厳しいものである。教科書は特別用意されたもので、週に2回は小テストが実施される。また在籍者の殆どが放課後に塾へと走り、更に参考書に向かう徹底振りであった。しかし。

(光彦の家にも行ってみたいな……。夏休みは、やっぱり海だよね。堂ヶ島の別荘に招待しちゃおう……クルーザーに乗った光彦、格好良いだろうなぁ。嵐は……)

 耐え切れず含み笑いを漏らす。酸欠も何も、思考が飛びすぎて純生は授業どころではなかった。遅れを取るまいと血眼のクラスメイトの中にいて、始終俯き肩を揺らして笑いを堪えている純生の姿は異様であった。
 純生は、優等生たる己に然して愛着を持っていない。稀にしか会えない両親を落胆させたくない一心で勉学に勤しんできたが、向学心が旺盛なわけでも、目指す大学があるわけでもない。
 今、純生の頭を満たしているのは、現実の友を得た喜びと、その充足感であった。ネットを介して交わされてきた不確かな友情とは随分と質が違う。
 九年間、互いの不器用さも手伝って無自覚に育まれてきた友情が、クラス変えを機に漸く開花したのだ。三人の中で一番素直にこの変化を受け止めたのは、他ならぬ純生であった。


 嵐は、レーザービームを放つが如く刮眼して黒板を凝視しており、壇上の教師が後退るほどであった。集中力が切れかけると、躊躇い無くバッテリーを外す。一瞥して人目も憚らず深呼吸、そして再びビーム発射。
 この授業は絶対無二の授業なり、とばかりに、嵐は身心を上げて臨んでいた。フライングVと過ごす魅惑の夕べを、勉強のために犠牲にするのはとても耐えられそうにない。そうでなくても、これから嵐の部屋は光彦純生の溜まり場と化す予定なのだからして。

(これじゃあ恋人同士だよ……)

 最後の授業。何度目かの裏プリでそんなことを考えてしまい、嵐は大声を上げて暴れ出したい衝動に駆られた。

(違う、俺はホモじゃないぞ。断じて違う。俺は俺は……マイケル一筋……あ、あれ?)
(いや、マイケルは俺の神様だから恋愛じゃないよな。……でも女の子を好きになったことないし、ときめいたことすら……というか接触自体が……)

 ホモ差別をする気は更々無いが(実際、光彦はかなり疑わしい)、己が同性愛者となると話は別。嵐は突如湧き上がった自らのホモ疑惑に狼狽した。教室中を見回し恋愛に発展できそうな対象を必死に探すが――嵐のハートを射抜くほど魅力的な女生徒は一人とて見当たらない。
 訝しげな教師の視線に気付き、ハタと我に返る。

(落ち着け、俺様の相手がその辺に転がっていてたまるか。大体、あの二人にときめいたって訳じゃ無し、ホモと決め付けるのは…だけどもうすぐ十六歳なんだよな……目覚めてもいい頃じゃないか……?)

 ――恋人はヘヴィ・メタル。

 悩んだ末、嵐はナンセンスこの上ない回答を導き出した。何れ運命の相手が現れるだろうと無理矢理納得し、今は学業優先、気を引き締めて再び黒板に向かった。


 未だ混乱の渦中にある三人組であったが、どうやら授業に支障を来さない程度に症状は改善されたようである。
 そもそも呼吸困難は、無意識下で依存し合っていた三人が、クラス変えによって精神的なバランスを失い、それが深層心理でストレスとなったことに起因していた。『裏プリ』含め、素潜り初日一連の出来事は、互いの必然性を改めて認識する結果となり、精神の均衡を取り戻す足掛かりになっていたのである。


「……今日、どうだった?」
 下校途中、電車に揺られながら嵐がやや篭った口調で二人に尋ねた。
「まぁ、昨日よりはマシかな」
 気恥ずかしさに後頭部を掻きながら、光彦。
「僕も…息苦しくはなかったかも。プリクラ見てばっかりだったけど」
 授業中に想像してしまった大海原を背負ったヘヴィ・メタルを思い出して、純生はクスリと白い歯を零した。
「お前はどうなんだよ?」
「…うん、まあ」
 嵐は曖昧な返事をすると、視線を泳がせた。なんとなく、二人の顔をまともに見ることができない。
「この調子でいけば、三年間乗り切れるんじゃねぇか?」

 しかし、頓着無い光彦の一言に、純生が過剰な反応を返した。
「ダメッ! 絶対、2年は同じクラスになるのっ!」
 その声に釣られ、電車内の乗客が一斉に三人を見る。純生は、珍しく確固たる意思を示す尖った眼差しを二人に向けた。小心者のくせに、意外に頑固で融通がきかないのが純生である。
「……それに越したことはねぇけど、俺らの成績を同じにでもしない限りムリだろ」
 光彦がそう云うと、すかさず嵐も首を縦に二回振って同意する。

「……だって……来年の修学旅行、一緒に行きたいよ……」

 充分に間を置いてから、純生はぽつりと呟いた。修学旅行、と聞いて嵐と光彦は顔を見合わせる。二人とも、そういえばそんなものがあったな、と如何にも気の抜けた顔つきである。
「……中等部の修学旅行、俺は行かなかったぞ。面倒くせぇから」と、光彦。
「五日もギターと離れたら、俺は死ぬ」と、嵐。
「僕は新幹線に乗る前に気分が悪くなって帰ってきちゃった」
 そうこう話している内に、電車が駅に到着した。改札をでるまで、光彦はぼんやりと考え込んでいたが、
「そういや、中1の林間学校も……球技会も郊外授業も全部フケたな」
 思いついたようにそう云った。
「ヘヴィメタにオリエンテーリングは無いよ。俺も逃げられるものは逃げた。で、毎年成績表には……」

「協調性に欠ける」
「協調性に欠ける」

 二人は互いを指差し、声を合わせた。
「僕は消極的過ぎるって」
 純生は淋しげに声の調子を落とし、二人の後に言葉を継いだ。

「見て」
 純生は数枚の写真を定期入れから大事そうに取り出し、トランプのように扇形に広げて見せた。
「これがマ……お母さん、で、こっちがお父さん」

 フランスのおばあちゃん家に行ったとき、これが小学校のときの誕生日で…と、純生は写真を捲りながら熱心に説明し始めた。その表情は自然と綻び見るからに幸せそうで、嵐は写真より純生の顔に目を奪われていた。賑々しい家族に囲まれた生活を送っている嵐には、一家団欒の有り難味など分かりようもない。一方光彦は、瞳の奥に羨慕の輝きを潜ませ、無言で写真を見つめていた。

「僕、一人っ子だし、両親とはたまにしか会えないし……ね? 思い出って大事なんだよ」


「よし、純生――やれ」
 何故か命令口調で、光彦。
「え? ななにを?」
「古文なんて宇宙語を勉強するの、冗談じゃねぇからな」
 光彦に耳元で「わかるよな?」と最低音域で囁かれ、純生は首まで朱を散らせ慌てて身を引いた。嵐は光彦の云わんとしていることを全く思い計ることができず、二人のやりとりに耳をそばだてていた。
「だだから、なに……あっ!」

 意図を汲取ったらしき純生が驚きの一声を上げると、光彦は鬼畜風に目を光らせ、「な?お前ならできるだろう?」と、不敵な笑みを口の端に浮かべた。嵐は交互に純生と光彦の顔を覗き見、未だ把握できていない様子で、「何?」を繰り返していたが。

「俺と純生の秘密だ。嵐、お前は国立に居りゃあいいんだから、関係ねぇよ」
 と、光彦が冷たく言い放つ。嵐に『ハッキング』の意味を理解させるのは骨の折れる作業であることを、光彦も純生も充分承知していた。

 関係ねぇよ。関係ねぇよ。関係ねぇよ――。

 嵐は、かつて感じたことの無い疎外感に身を震わせ、その場に立ち尽くしてしまった。

 光彦は純生の肩に手を回し、
(え、ちょっとダメだよ、光彦)
(なぁに、中間は来月だから焦るこたねぇよ)
(でもいきなり成績上がったら、おかしいよ、ばれちゃうよ)
(少しずつ均していきゃいいだろ)
 と、なにやら親密そうにコソコソと囁き合っている。素気無い二人は立ち止まった嵐に気付かず、塩田邸へと西口商店街を進んでいく。
 二人のシルエットが暮れなずむ風景に溶解しようとしたその時――。



「――なんだよっ!俺にも教えろよっ!」

 絶叫にも似た嵐の怒号は、苛められっ子の逆ギレそのものであった。
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