ゴンちゃんはね、

 ゴンちゃんの本名は、馬場厳冶。
 ババゴンジ。ババ、の上に、ゴンジ。しつこいようだが、バ・バ・ゴ・ン・ジだ。
 『ン』以外は、全てダク点付きの厳つい名前。
 命名、(ゴンちゃんの)父方の曽祖父@昭和元年生まれ……だそうだ。

 筋骨隆々たくましく見上げるほどの大男。角刈りで、真っ黒に日焼けしたホームベース顔の額には味のりよろしく極太眉毛。ハデな柄の鯉口シャツと安全靴、作業服のアルマーニこと『寅壱』のニッカポッカが良く似合う……ついでにユンボーにでも乗せちゃうか。

 以上、俺が想像した『馬場厳冶』の容貌。俺はマッチョ系に弱いから、そんな『馬場厳冶』だったら間違いなく一目惚れだ。

 ところが。

 名は体を現す? 全・然・だ。

 ゴンちゃんは有袋類、強いて言うならオポッサム亜目、オポッサム科。
 小さな顔に小さな鼻、目はくりくりで髪はフワフワの猫っ毛、眉はいつも困った感じで――つまり、一言で言えば、ちっちゃくって可愛い絶滅危惧種系。女の母性本能と男の庇護欲を同時に掻きたてる、悪魔的な可愛さなのだ。いや、なのだそうだ。熱烈なゴンちゃんフリークの森本(♂)に言わせれば。

 ゴンちゃんは、不思議少年だ。
 ゴンちゃんの言うことは、大概が話のスジから大きく脱線していて、誰も理解できないし、しようともしない。
 だからといって、ゴンちゃんは頭が悪いわけじゃない。
 『最高学府』にカテゴライズされる私立大学の、立派に第一文学部二年生だ。
 呼び名は人によって様々。
 『ゴンちゃん』を筆頭に、ゴンゴン、ゴンティ、ゴンチッチ。あるいは苗字から取ったバビィなんて亜種もある。誰もがそれらの愛称を口にするとき、まるで愛猫を呼び寄せるような猫なで声に変わるのだ。


 ゴンちゃんと俺が所属しているのは、学内に星の数ほどあるテニスサークルの中でも最弱小、週に一度は公共コートを借りてテニスをするものの、『ゴンちゃんを囲む会』とでも名を改めた方が良いような、いい加減の上に『超』が付く、男女合わせて構成員僅か三十名程度のテニスサークルだ。
 もちろん、サークル専用の部屋なんてご大層なものはない。四号館の地下ラウンジのさらに隅っこで、部員の誰かしらが毎日吹き溜まっている。
 そんな枯葉舞う吹き溜まりも、ゴンちゃんが来ると、一変して春のお花畑になるのだ。
 ゴンちゃんがちょっと首を傾げて微笑むだけで、飴ちゃんだのジュースだのアイスクリームだの、果てはノートのコピーだのレポートだのが集まる。実に羨ましいご身分だ。

 俺は、と言えば。
 ゴンちゃんが可愛いのは認める。ゴンちゃんの摩訶不思議少年っぷりを観察するのも、ゴンちゃんを蝶よ花よと甘やかし続ける脳みそがゲル化した連中に付き合うのも、そんなに嫌いじゃない。むしろ楽しんでいるが、視点はいつも一歩引いた位置にあった。

 あれは、去年の梅雨頃のこと。
 ゴンちゃんが、一匹のカタツムリをどこからか捕まえてきて、ジャムの空き瓶に入れてペットにしたのだ。学食のおばちゃんから、キュウリやニンジンの切れっぱしをもらってきては、せっせとカタツムリの世話を焼くゴンちゃん。部員たちは、初孫を抱くおじいちゃんのように眼を細めて、そんなゴンちゃんを見守っていた。
 ある日、ゴンちゃんはカタツムリを淋しげに見つめて、こう呟いた。

「ムームー(どうやらカタツムリの名前らしい)……一人ぼっちでかわいそう……」

 翌日から、ムームーのフィアンセを探して、部員たちは授業そっちのけで校内中を駆けずり回った。
 森本に至っては、
「俺がムームーに一番お似合いのメスを捕まえてくる!!」
 と気合満々、遠路はるばる(でもないが)井の頭公園にまでカタツムリを捕まえに行ったのだ。

 ――森本君、カタツムリは雌雄同体だ。オスもメスもないぞ。というか、馬鹿馬鹿しいからやめろ。

 そうは思ったものの恋(?)は盲目、水を差すのもいかがなものか。結局、俺は森本の代返を頼まれてやった。でんでん虫で留年、なんてことになったら、あまりにも森本が憐れだからだ。

 都会のド真ん中にも結構いるもので、最終的には二十匹近くのカタツムリが、ゴンちゃんのもとに集まった。ゴンちゃんは、捕獲したカタツムリ全部に名前を付け、家で飼うと言って大事そうにビニール袋に入れた。
 そして、
「みんな、ありがとう」
 と、満面破顔して感謝の辞。この天使の笑顔で、ドロだらけになって草むらを這いずり回った皆の苦労は報われるのだ。

 ――いいのか? 日本の未来を担う、高偏差値の馬鹿集団よ。

 いいのだ。
 いいらしいのだ。
 ゴンちゃんのためなら。

 その時俺は、つくづくアホらしくなってサークルを辞めようかとも考えたけど――サークルというのは、所属しているだけで、何かと便利なのだ。他の学部の連中とも友達になれるし、縦の繋がりも出来て、先輩から教授別傾向と対策を教えてもらえたり、お古の教科書をタダでもらえたり、就活のとき情報を集めやすかったりする。何より、いい暇つぶしになる。

 ――あのカタツムリの大群は、今でもゴンちゃん家で幸せに暮らしているのだろうか?


 ゴンちゃんは、高田馬場から山手線で四駅、おばあちゃんの原宿・巣鴨に下宿している。実は俺も巣鴨に住んでいるのだが、きっとゴンちゃんは知らない。
 駅で見かけても声を掛けることは無く、俺は帽子を目深にかぶって、ゴンちゃんから逃げるようにタイミングをずらして改札を潜る。同じサークルに所属しているのだから、帰る時間も重なることが多い。そんな時俺は、学バスに乗らず、わざわざ二十五分も歩いて、高田馬場駅まで行く。
 ゴンちゃんと、サークル以外でお付き合いするのは、真っ平ゴメンだった。



 小雨降りしきる中、無下にダンボールに入れられ、川原に捨てられた仔犬が、さも憐れっぽく『キュゥ~ン』と鳴く。ふと立ち止まって仔犬を抱き上げたのは、学校でも有名な札付きの不良。そんな意外な一面を垣間見たその日から、少女が不良に抱いていた嫌悪感は一転して恋愛感情へと変わり……なんてのは、一昔前のドラマで良く見かけたシーン。
 人は、『意外な一面』というものにやっぱり弱かったりする。俺もまた例外じゃないと悟ったのは、とある休日に、山手線でゴンちゃんを目撃したときだ。



 俺はバイトの帰り。ゴンちゃんは……片手にタワレコの袋を持っていたから、大方新宿辺りで買い物でもしてきたのだろう。ドアにもたれ掛かって、雑誌を読んでいた。
 ゴンちゃんの姿をドア一つ向こうに見つけるなり、俺はキャップのつばを引き下ろして、顔を隠した。
 気付かれたからといって、どうということはない。挨拶を交わして、ゴンちゃんの意味不明な話に「うんうんそれで?」と相槌を打ちながら付き合えばいいだけだ。そして、別れた直後、ガックリ地面にへたり込む。
 気疲れで。

 あぁ神様、どうかゴンちゃんが俺に気付きませんように。
 そう願いながら、俺はゴンちゃんの様子を視界の端っこで窺っていた。しかし当のゴンちゃんは、かなり熱心に雑誌を読んでいて、顔を上げる気配もない。

 ――おや?

 俺は、我が目を疑った。ゴシゴシと目を擦ってから三秒、視力が戻っても、驚くことには変わりなかった。
 ゴンちゃんの読んでいる雑誌は、『週プロ』こと――『週刊プロレス』だ。
 世の中にプロレスファンは多けれど、山手線で衆目を気にせず堂々と『週プロ』を広げられる、男気あるファンは稀だ。ある意味、エロ本広げるより勇気のいる行為だ。

 事件は、それだけでは無かった。

 目白駅。ゴンちゃんの寄りかかっていたドアが開き、乗ってきたのは、人の良さそうなおばあちゃんだった。腰は曲がり、その手には杖を持っている。ふと目を遣ると、シルバーシートを占拠しているのは二人の老人、そして見るからにヤ印の、ヤバそうな若い男だった。どうやら、席を譲るつもりは無いらしい。
 ゴンちゃんは、男に一瞥を投げると、持っていた『週プロ』を二つ折りにしてタワレコの袋にねじ込み、網棚の上に乗せた。掴んだ手すりを軸にして、ひらりと身体を半回転させ、男の前に立ちはだかるゴンちゃん。

(まさか――。やめとけ、ゴンちゃん! 男らしいのは『週プロ』だけにしておけ!)
 と、心の中で叫ぶだけの俺。

 ゴンちゃんは、そいつの足の脛に問答無用のケリを入れた。いわゆる弁慶の泣き所一点に狙いを定めて、思いっきり。
 さすがのヤ印さんもギャッと悲鳴を上げて、座席から尻をズリ落とし、そのまま膝を抱えてうずくまった。肩が、チワワみたくプルプル震えている。
 イタそー……。

 次の展開は、ご想像の通り。男は怒り心頭、恐ろしげな形相で立ち上がり、ゴンちゃんの胸倉をガッシリ鷲掴みにして、華奢な身体を前後に揺すりながら脅し文句を雷鳴のように轟かせた。
「このガキャアッ! 殺されてぇのかッ!」
 二十センチの身長差、体重は、少なく見積もってもゴンちゃんより三十キロは重いだろう。
 しかしゴンちゃんは怖じない。怖じないどころか軽々と胸元の手を払いのけ、合気道? ――とにかくそんな感じの動きで、腕を捻り上げてから、あっという間に男の背中に手首を縫い止めてしまった。男の腰の辺りで、不自然に折れ曲がった手首。肩と肘を決められ、あれでは抗いようがない。
 つくづく、イタそー……。

 激痛に身を折って呻く男の尻を蹴って、ゴンちゃんは、丁度停車した大塚駅のホームにその巨体を押し出した。ホームでのた打ち回る男を尻目に、ゴンちゃんは表情も無く、座席に取り残されていた彼のセカンドバックを取り、ポイと車外に放り投げた。

 ドアが閉まった途端、車内中が感嘆の息を漏らした。俺も然り。
 傍らで呆然と見ていたおばあちゃんに、ゴンちゃんはにっこり微笑みかけてから、何事も無かったような顔で、再び『週プロ』を広げた。

 ――鮮やか! エクセレント! ブラボー・ハラショー・トレビアーン!!
 あのゴンちゃんにこんな一面があろうとは。違う人格が宿っているとしか思えない。いやもしかして、似ているだけの違う人?
 別人と疑ってしまうほど、俺にとっては衝撃的な光景だった。


 ゴンちゃんモドキは案の定、巣鴨で降りた。本人確定、まだまだ面白いものが観れそうだ。
 俺は、ゴンちゃんの跡をつけることにした。

 歩くスピードはいつもの二倍強、吹けば飛ぶよな風情は見る影もなく、地蔵通りのコンビニで大関ワンカップを買い、外に出るなりその場でグイっと一気飲み。ポケットから取り出したのは『ゴールデンバット』、使い古したZippoで火を点ける様は、不思議と絵になっていて全く違和感がない。

 なんて男らしいんだ、ゴンちゃん。
 『厳冶』の名に相応しい漢らしさだ。

 ――惚れた。

 俺は、電信柱の影に身を潜ませて、ゴンちゃんがタバコを吸い終えるのを待った。

 吸殻を灰皿に押し込み、再び歩き出したゴンちゃんの肩を、ポンと叩いた。
「あれぇ? 中津……賢吾くん……? どうしたの? こんなところで」
 うろたえもせず、艶然と微笑むその肝っ玉、アッパレとしか言いようが無い。
 ただニヤついてる俺の顔を見て、ゴンちゃんは不思議そうに首を傾げる。
 ゴンちゃん、もう正体はバレているのだよ。
 俺は、ゆっくり口を開いた。

「新日と全日、どっちが好き?」

 オポッサムの仮面が剥がれる瞬間を、俺は見た。ほんわかゴンちゃんの周りに飛んでいた花々はたちまちしおれて、重い沈黙と同時に寒々しい風一陣。
 ゴンちゃんの目は据わり、常にアルカイックスマイルを湛えていた口元が、皮肉っぽく歪んだ。

「……見たのかよ」

 俺が頷くと、ゴンちゃんは忌々しげに舌打ちをして、サークルの連中には黙ってろよ、と吐き捨てた後、
「やっぱ新日だろ」
 と、一言。

 だよな。うん。
 ゴンちゃん、今夜は俺と飲み明かそう――。



 その日から、俺とゴンちゃんの仲は急接近した。互いの家を行き来するうち、面倒臭くなったのかゴンちゃんは下宿を引き払い、俺のアパートに転がり込んできた。共同生活し始めてからも、ゴンちゃんの傍若無人な漢っぷりは凄まじく、合気道歴十五年(ちなみに実家は合気道々場)の上、プロレス大好きなゴンちゃんにワザ食らいまくりの日々。
 俺って、Mっ気あったのか。

 学校でのゴンちゃんは、相変わらず不思議少年だった。なにゆえこんな二重生活を送っているのかと訊くと、「そのほうがラクチン」とのこと。なんでも、中学時代までは本名と性格、見てくれのギャップに、随分苦労したのだそうだ。高校に入学してから、ビジュアルに沿った立ち居振る舞いをすれば、世の中ラクして渡れる、と開眼したらしい。
 そっちの方が余程疲れそうだが、人前ではシナプス信号の伝達経路をOFFに切っているから問題無い――ってゴンちゃん、俺は人じゃないのか?



 ちなみに、ゴンちゃんが俺の部屋に越してきた日の会話は以下の通り。

「あれぇ? 厳冶、ムームーは?」
「食った」
「……全部?」
「マズかった。二度と食わねー」
「…………ふーん」

 当時、ギャンブルの負けが込んで、ゴンちゃんの生活はかなり逼迫していたらしい。そりゃ、かの食通の国、おフランスでは、エスカルゴと称されポピュラーな食材らしいけど、それにしても。

 食ったのか、ゴンちゃん……。

 ムームーとその仲間たちの哀れな末路を聞いても、俺は笑いしか込み上げてこなかった。
 だって『厳冶』だから、でんでん虫くらい食うよな。うん。

 いつしか俺は、サークルの連中の前でも、ゴンちゃんのことを『厳冶』と呼び捨てするようになっていた。
 そして今、いかにしてゴンちゃんの合気道ワザを封じ、押し倒そうかと画策中です。

---end---

※そんな人はいないと思いますが一応。そのヘンにいるカタツムリを決して食べないで下さい。専門のお店に行きましょう。
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