ゴンちゃんはね、-リターンズ-

 馬場にして厳冶。
 オポッサムにしてグリズリー。シガレットチョコレートにしてゴールデンバット。ミルクセーキにして大関ワンカップ。間違いなくサドッ気有りの――でんでん虫を食う男。
 同居生活も早二ヶ月。ゴンちゃんが風呂上りにパンイチで胡坐を掻き、大関ワンカップ飲み飲み、タオル鉢巻きでプロレスビデオを観賞していたところで、もう俺は驚いたりしない。むしろ見慣れた光景だ。
 観ているだけならいいのだ。大人しく観ているだけなら。
 が。
 おぉゴンちゃん、どうして君は『厳冶』なんだ!


「ギィー――ブッ! ギブギブギブッ!! ロ、ロォープッ!!!」
「え? そんなに深く入ってるか?」
「入ってるッ……ガッツリ……入ってるっての……ッ!!」
「そうかぁ? おかしいなぁ」

 そうかぁ? おかしいなぁ。
 ……だと? 手加減してるとでも言いたいのか。
 涙目になって肩にタップを入れている俺の顔を不思議そうに覗き込んで、悪びれもせずゴンちゃんは言う。俺のことをサンドバッグか何かと勘違いしているらしい。ご近所さんの手前、タイガースープレックス(断崖式)やDDT(垂直落下式)を喰らわないだけまだマシだと思ってしまう俺も俺だ。
 おまけにゴンちゃんはパンイチなのだ。スッパ一歩手前のゴンちゃんの腰や鎖骨のラインやら――両胸のピンク色やら、それでなくても気になって仕様が無いというのに、アナコンダ・ヴァイスを喰らえば、当然、ツヤ肌の白い胸元に顔を埋める結果となる。
 くそ、半勃ちしてしまったではないか。

 ようやく開放されて、抜けそうな頭をグルグル回している俺に気遣いの言葉も無く、再びテレビ画面に釘付けのゴンちゃんは、一人ぶつぶつ呟きながら技の研究に余念がない。一体どこでそのフィギュア・4・レッグロックを披露するつもりなのかは知らないが、俺を練習台にするのだけはやめて欲しいと心から思う。
 青痣の絶えない腕を見て、げんなり肩を落とす俺。
 掃除洗濯、食料の買出しに飯炊き――全部俺の仕事。そうでもしなけりゃ狭い1K(ユニットバス付)の部屋は荒廃の一途を辿り、二日で足の踏み場も無くなる。ちょっとでも目を離そうものなら、部屋が散らかるだけならまだしも、ベランダにある洗濯機の中にラーメンどんぶりがワープしたり、風呂場にラー油がワープしたりする。
 シャンプーやリンスのボトルの隙間にちんまり収まっているラー油の、なんと奥ゆかしい姿だったことか。「寂しい思いさせてごめん」とか呟きながら、俺が調味料の棚にラー油を戻したことなんて、ゴンちゃんは知らない。どうやったらキッチンから風呂場までラー油がワープするのか、敢えて考えないことにする。何しろ、相手はでんでん虫を食う男だ。衣食住に無頓着極まりないゴンちゃんが、我が同居人なのだ。

「あぁー……。なんでこんな野獣を飼うハメになっちゃったんだろ……」
 理由は明白、この破滅的な二重人格者に、惚れてしまっているからだ。それでも呟きたくなるさ。こうも毎日酷い目に合わされれば。ビデオに夢中だと思っていたゴンちゃんは、こちらをチラリと見て口の端をイヤらしく引き上げ、こう言った。
「飼い主は俺だろ?」
 そうきたか。
 うーん……言われてみれば――
 いや違う。納得するな、俺。

 そう。俺には野望があるのだ。いつかゴンちゃんを押し倒すという野望が。
 ああ、あの細い肩を抱き寄せて、桜色の艶っぽい唇を心行くまで貪りたい。俺に組み敷かれて可愛く喘ぐゴンちゃんの首筋に噛み付いてやりたい。それからゴンちゃんをあーしてからこーして、俺のビッグマグナム(本当はワルサーPPKがいいとこだけど)で思いっきりゴンちゃんを咽び泣かせてやりたい。
 とか妄想のお花畑にダイブしている場合じゃない。ここらでチャンネルを切り替えておかないと、下半身の収拾がつかなくなるからレポートでもやることにします。ゴンちゃんの分のレポートもあるしね。
 ……がんばれ、俺。


 『ゴンちゃんを囲む会』改め、名ばかりのテニスサークルの、定例ランチミーティング。
 このミーティングで、翌月の活動予定やコート予約の分担なんかを決めたりする。ミーティングなんて三年の幹部だけでやっときゃいいのに、連中はゴンちゃんを呼び出す口実が欲しいらしい。先々月、俺とゴンちゃんは唐突に書記係に任命されたのだ。
 いつものように森本(♂:筋金入りのゴンちゃんフリーク)がゴンちゃんのすぐ隣を陣取って、右回りに早坂先輩(♂:部長)、有賀先輩(♂:副部長)、宮野先輩(♂:宴会部長)、御木本(♂:麻雀部長)、深沢(♀:女子部長)、島田(♂:別名・リョーマ君。サークル内で唯一テニスがマトモにできる人)、大内(♂:雑用部長)、俺(♂:最近ではマネージャーと呼ばれている。どうやら、ゴンちゃんの付き人という意味らしい)の、総勢十人。昼間に集まればこの程度の人数だ。部員の半数を占める女性陣は殆ど違う大学なのだから。

 しかし。いつ見ても摩訶不思議な光景だ。ヤローばっかりでよくもまあ、こうもゴンちゃんにチヤホヤできるものだとつくづく思う。森本は、毎回手土産に高級スイーツを欠かさないし、ことある毎にゴンちゃんの身体に触れようとする。他の連中は「午前中の授業は楽しかった?」だの、「昨日の夕ご飯は美味しかった?」だの、毒にも薬にもならない話題をゴンちゃんに投げかけては、意味不明の返答にうんうんと頷きながら耳をそばだてている。
 相変わらず俺は一歩引いた位置から冷めた目で……というワケにはいかない。断じていかない。数ヶ月前とは話が違う。俺は同居人で、おまけに、ゴンちゃんに熱烈な恋心まで抱いているのだ。

 早坂部長の視線が妙に熱っぽいのが気になる。
 有賀先輩、いつもクールなアナタがなんですかその粘っこいしゃべり方。
 コラ森本。俺のゴンちゃんの肩に気安く手なんか回すんじゃないよこの包茎ヤロー(見たこと無いけど)。

 俺は今、猛烈に絶叫したい。
 お前らがチヤホヤしている儚げな美少年の本当の笑い声は、まるで水戸のご老公のようだと。
 お前らが苦労して捕まえたでんでん虫を、食ってしまった男だと。
 ――人は、この感情を『ジェラシー』と呼ぶ。 やってられるかコンチクショー。

「厳冶、行くぞ」
 呼ばれるなり、ゴンちゃんの眉間にキュッと可愛く皺が寄る。
「院ラウンジでコピー取りたいんだろ? そろそろヤバいぞ」
 身体中に突き刺さった非難の矢をことごとく弾き返して、俺は、ゴンちゃんに「早くこい」と顎で合図を送った。
 『厳冶』と呼ばれることにより、ゴンちゃんのシナプス信号機は突然ONになるらしい。そこはゴンちゃんも慣れたもので皆の前で化けの皮が剥がれたりすることはなく、ただ微かに眉を寄せるだけだ。つまりオデコだけ『厳冶』で、眉から下は『ゴンちゃん』。俺だけが判る、ゴンちゃんの変化。――ああ優越感。

 ゴンちゃんが学内で『厳冶』と呼ばれることを嫌がっているのを知っていて、俺は敢えて呼び捨てにする。そうするのは犬のマーキングみたいなもので、少なからずゴンちゃんにとって俺が特別な存在だということを皆にアピールしたいからだ。
「じゃあ……お先に失礼します」
 ゴンちゃんは艶やかに微笑んで席を立ち、みんなに軽く会釈すると、数歩先を歩く俺の後を追うように小走りで駆けだした。
「ゴンちゃん、ちょっと待って!」
 呼び止めたのは言うまでもなく、森本だ。
 森本は、俺に牽制するような視線を送ってから、ゴンちゃんの袖を引っ張って強引に歩き出した。俺から死角となるようにか近くの柱の影にゴンちゃんを押し込み、森本は、なにやら必死の形相で語りかけている。昼時で騒然としているカフェテリアの中、潜めて話す声など聞こえるはずもなく、イライラとつま先を鳴らしながら二人の会話が終わるのをただ待つ俺は、そこはかとなくいじらしくはなかろうか?

 牽制の次は勝ち誇ったような一瞥を俺に投げつけて、森本はサークル連中の輪の中に戻った。
 ラウンジへと続く廊下を肩を並べて歩きながら、努めてさりげなく。
「森本の話って?」と尋ねると、
「五限終わったら、二人っきりで会いたいって。大切な話があるって……なんだろうね?」と、ゴンちゃん。
 ……森本、ついに。
 二人っきりで大切な話と言えば相場は決まっている。
 代返してやった恩も忘れて俺のゴンちゃんに手を出そうとするなんてあのチンカス野郎、しょうゆとみりんで味付けして骨まで美味しく食えるように圧力鍋でぐつぐつ煮てやろうか――なんて考えてしまう俺は、すっかりゴンちゃんのオサンドンが板に付いてきているわけだが、いやそうじゃなくって森本をどう料理するかは置いといて、今はなにより妨害工作。

  突然、細い指に前髪を掬われぎょっと立ち止まった俺の顔を、ゴンちゃんが珍しいものでも見るように瞳を煌かせて覗き込んでいた。その二つの愛らしい黒目がちな瞳が、一瞬にして鋭いものに変わる。
「賢吾、今すげー顔してるぞ」
 『厳冶』が出た。というか顔が近すぎる。キ、キスしていい?
 そんな俺の混乱を知って知らずかゴンちゃんは、
「行こうか、中津くん♪」
 声色を即座に『ゴンちゃん』に戻して、何事もなかったように歩き出した。どんな顔かと両頬を摩りながら棒立ちしている俺を振り返って、またも『厳冶』がにやりと笑う。
 ――嫉妬してるだろ?
 そんな電波が飛んできた気がするのは、俺の希望的観測か。
 嫉妬? ああしてるさ、それがどうした。
 と、開き直れない俺は、やっぱりいじらしい。
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