ゴンちゃんが森本から指定された待ち合わせ場所は、 キャンパス近くの外山公園。午後中、必死に頭を巡らせたけど、結局、有効な妨害工作が思いつかなかった俺は、五限終了後に外山公園へと猛ダッシュした。
 二人が行きそうな場所は――。夕暮れのお散歩を決め込みながら公園の中心部にある小山まで誘い込めば、人気の無い暗がりがいくらでもある。おまけに都内有数の心霊スポットとして有名な公園だ。最大積載量:積めるだけ、な下心満載の森本君のこと、ゴンちゃんをちょっと怖がらせてあわよくば……なんて考えているに違いない。

 薄暗い小道に面した太めの樹木を選んで、その生い茂った枝の隙間から頭半分だけ覗かせて点在するベンチの方向を窺う。胸よりやや低い位置にある絶好のノゾキポジションに顔を埋めようとすれば、一八〇にもう少しで手が届くかって俺の身長が徒となり、かなり無茶な姿勢を強いられる。『僕は変質者です。どうぞ捕まえてください』と看板を背負って立っているようなものだから心穏やかではなかったが、実にタイミング良く迷彩柄のTシャツを着ていたことと、薄暮に及んだ時刻に助けられた。ザッツ・ストーカー。
 とはいっても、とにかくだだっ広い公園だ。この場所に俺が身を潜めたのは賭けでしかなかったわけだから、狙い通りに二人のシルエットが小道の向こうから現れた時は、「ヨッシャァッ」と心中でガッツポーズを決めた。そして、小道に沿ってぽつぽつと扇形に落ちる街灯の明かりから外れたベンチのひとつに二人が腰を下ろした時には、またも狙い通りの展開に叫びだしそうになった。二人の会話だけでなく、息遣いすら聞こえそうな距離。

 ベンチに腰を落ち着けてから数分、普段は鬱陶しいくらいに駄弁を弄する森本が無口なのが不気味だ。ゴンちゃんの横顔には『たいくつ』という文字が貼りついていて、それがまた森本の決心を鈍らせているのだろう。なにしろ、男が男に愛の告白をしようとしているのだ。森本の躊躇も理解できなくもない――むしろ、痛いほど解る。同類相憐れむ的な感情が、咽まで「森本ガンバレ」コールを押し上げたが、ハタと我に返った。恋敵を応援してどうする、俺。

 いよいよ痺れを切らしたらしきゴンちゃんが、口火を切った。
「森本君、お話って?」
 はっと顔を上げた森本は、しばらくゴンちゃんの眉間の辺りに視線を止めたあと、ようやく重い口を開いた。
「……賢吾と一緒に住んでるんでしょ?」
 げ、どこからそんな情報が漏れたんだ。
 だから何? と言わんばかりに「うん」と、あっさり答えるゴンちゃんは、さりげなく男らしい。
 再び訪れた重苦しい沈黙。森本の膝の上で固く結ばれている両拳が痛々しい。
「賢吾とさ、……その、付き合ってるの?」
 うお、いきなり核心を突くなよ森本君。そりゃそうなりたいとは思ってるけど、モノには順序ってもんがあるんだよ。
 ゴンちゃんは悪魔的に可愛く首を傾げて、不思議そうに森本を見上げた。
「付き合ってる……って? どこへも付き合ってないよ? そりゃあ一緒に登校したりするけど」
 シナプス信号OFFのゴンちゃんには森本の言葉が理解できないらしい。筋金入りのジゴロをも腰砕けにするだろうゴンちゃんの上目遣いにネジが数本飛んだのか、森本はゴンちゃんの細い両肩を鷲掴んだ。
 コラコラコラァ――ッ!!!!
 ……と声にならない怒声を力いっぱい森本に浴びせかけるが、木陰から飛び出すのを寸でのところで思い止まった。落ち着け、あのゴンちゃんもとい馬場厳冶が、森本ごときにそう易々と手篭めにされてたまるか。迂闊に手をだしたりしたらヤバいのはむしろ森本のほうだ。

「そうじゃなくってッ! 賢吾と恋人同士かって訊いてるんだッ!」
 森本、半絶叫。“恋人同士”の意味をどう読み取ったのかゴンちゃんは、コロコロと笑い出す。
「なにそれ。森本君、面白いー」
 いや全然面白くないんですけど。
 ゴンちゃんの今更な不思議っぷりにもめげず、森本がズイと身を乗り出す。
「だって賢吾だけゴンちゃんのこと馴れ馴れしく呼び捨てにしてるし、その上、一緒に住んでるなんて! それに今ゴンちゃんが着てるそのパーカー、賢吾のだろ? 服まで共有しちゃって、まるで同棲してるみたいじゃないかッ!」
 貸したんじゃないぞ。強奪されたんだ。某プロレス団体オフィシャル二〇〇七年限定モデル(激レア)の俺のパーカー……。
 ゴンちゃんはだぶだぶのパーカーの裾を手持ち無沙汰に弄くりながら、しょんぼりと呟いた。
「僕、仕送り五万だしぃ……中津君とはルームシェアしてるだけ」
 シェア――分けること。分配。分担。
 敢えて言うならルームオキュペーション(占領)が妥当だと思うけど、この際そんなことはどうでも良い。途端に表情を明るくした森本がとんでもないことを言い出した。
「じゃあさ、俺と一緒に住まない? 2LDKで部屋広いしガッコ近いし。もちろん部屋代なんていらないよ」
 け、ボンボンが。
「え?」と眼を瞬いたゴンちゃんは、「うーん……」と思案顔で俯いた。
 悩むな悩むな悩むな、そこで悩むなよ、ゴンちゃん。俺、尽くしてるだろう?
 またも沈黙。森本は、最終判決を待つように青ざめて、ゴンちゃんを注視している。

「森本君って……料理、上手……?」
 おい。その切り替えしは唐突すぎないか? 否、ゴンちゃんの食い物に対する異様な執着を嫌というほど知っている俺には解せなくも無いのだが、はっきりいって認めたくない。メシのためだけに俺と住んでるなんて。
 パッと顔を輝かせた森本は、ゴンちゃんの両手首を取った。
「そう、俺の実家、銀座の老舗料亭! 俺、ガキん時から厨房に出入りしてたから、めっちゃめちゃ料理上手いよ!」
 料亭、と聞いてガックリ膝を折りそうになる俺。
 お前は山岡某かってツッコみたくなるほど流暢な口調で、森本は切々と語りだした。厳選される素材について、どれだけ下ごしらえに手間をかけるか、化学調味料がいかに邪道か――味の素かクレイジーソルトか味覇(ウェイパァー)を降りかけときゃ食えるもんができると信じ込んでいる我流自炊人の俺にとっては何から何までサプライズな、日本料理の奥の深さ。
 ――助けて神様、負けてしまいそうです。

 ゴンちゃんは、吟味するように細い顎に人差し指を当てて森本の話を静かに聞いていたが、やがて。
「……僕、脂っこい料理のほうが好きなんだよね」 と、ぽつり。
「……え」と、森本瞬間冷却。
「ごめんね、森本君。僕、一緒に住むならやっぱり中津君とがいい」
  ゴンちゃんは、実に華やかな微笑を森本へと投げかけた。

 ……素直に喜べないよ、ゴンちゃん……。
 確かに俺の得意料理は中華系だけど。おふくろ直伝のパラパラチャーハン我ながら絶品だと思うけど。
 嬉しいやら悲しいやら腹立たしいやらやっぱり嬉しいやら、押し寄せてきた複雑すぎる感情に全身弛緩状態の俺の目前で、森本が次に起こした行動は――。

 見開かれた双眸。
 凍りつく空気。
 桜色の可憐な唇から微かに漏れた吃驚の悲鳴。
 ゴンちゃんの華奢な半身をがっしり抱き込んでいる、森本の両腕。
 森本は、わざとらしく弾んだ息遣いに乗せて、ゴンちゃんの耳元に低音で囁きかけた。
「ゴンちゃんが好きなんだ……。ゴンちゃんの食べたいもの、いくらでも作り方覚えるから、俺と付き合って」
 予想外の出来事に唖然と硬直しているゴンちゃんの頬を、森本の両手のひらが優しく包む。
「賢吾なんて、クールぶってるだけのつまんねー奴じゃん……」
 悪かったな、クールぶったつまんねー奴で。
 普段がチャラいイメージの森本だけに、真摯さを滲ませたその熱っぽい眼差しは女子には効果覿面だろう。おまけに森本のツラはそれなりだ。この手で何人口説いたのかは知らないが、果たしてゴンちゃんにはどうか。
 何故か俺は冷静で……しかし、背中に這い回るこの気持ちの悪い冷気はなんだ?
 ゴンちゃんの唇に森本のそれがゆっくり近づいていく。
 触れ合うまであと二センチのところで、囁き声をさらに艶めかして、駄目押しとばかりに森本が言った。

「俺にしなよ、厳冶……」

 確かに聞こえた。
 “カチリ”という、何か身の毛立つような電子音が。
 やめろ森本、死にたくなければそれ以上……!

「……うぜぇ」

 聞こえないのか、森本。この地獄の釜の底から響くような声が。
 ああ、あと一センチ――。

「うぜぇっつってんだよ……。聞こえねぇの?」

 “厳冶”の一言に召喚された、凶悪なる第二の人格。
 何が起こったのか把握できない森本は、バッと身を引いて忙しく頭を振って辺りを見回した。今の一言が、誰もが触れたくなるような艶やかにして薄紅のふっくらとした唇から吐き出されたものだとは、到底納得できないようだ。森本は、皿のように見開かれた両の目を、恐る恐るゴンちゃんへと合わせた。
「馴れ馴れしくさわってんじゃねぇ、キショィんだよ」
 『厳冶』は、未だ腰に回されたままだった森本の手首を掴んだ。
 グキリという鈍い音と同時に、およそ人間の声帯から発せられたとは思えない恐ろしげな呻き声が、森閑とした闇に吸い込まれていった。
 出た、チキン・ウィング・アームロック・ゴンジ・スペシャル(命名・俺)。俺も幾度か仕掛けられたことがあるが、ゴンちゃんが“手加減していた”というのは満更嘘でもなかったのだ。――極まっている、森本の右腕かけられた究極の関節技は、極まりすぎていた。本物の激痛、というやつは声まで奪うらしい。いつかの誰かみたいにチワワみたく肩を小刻みに震わせている、森本。
  イタそー……。

「そんなに早死にしてぇかぁ? この俺様の唇を奪おうなんざ一億光年はぇえんだよ、このタコ」
 一億光年=9.4605284×1023 メートル。つまり可哀相な森本は、死ぬまでゴンちゃんにキスできない。
 ……俺も、絶望的だ……。

 尚もゴンちゃんは、妖気すら漂わせる声音で畳み掛ける。
「今度俺の前にそのツラ晒しやがったら、てめぇのキンタマ切り刻んで二度とセンズリこけねぇようにしてやっからな。わかったか、アァ!?」
 もはや白目をむきかけている森本は、辛うじて残された意識――“死にたくない”という原始的欲求――に促され、首を狂ったようにぶんぶんと縦に振った。
 そうして、森本はようやく解放された。
「消えな」と、吐き捨てるゴンちゃん。
  顔一面に恐怖をべったり貼り付けたまま、森本は文字通り脱兎の勢いで、狭い小道を走り去っていった。抜けた右肩をかばいながら走ったせいか、幾度も足を縺れさせる後姿が哀感をそそる。

 ――ごめん、森本。
 俺は、お前の告白でゴンちゃんの俺に対する気持ちを量ろうとしていた。森本と俺は、同じ穴のナントヤラだ。そういう意味では、恋敵とは言え森本は同志で、憎めるはずも無く。
 森本の後姿が消えるまで、俺はその情けない背中に向けて心の中で「ごめん」と繰り返した。


「……趣味悪ぃな、賢吾。……ノゾキかよ」
 シナプス青信号の『厳冶』から気配を消しきれるとは思っていなかったから覚悟はしていたものの、名前を呼ばれた途端、俺の心臓は跳ねた。ああ、バツが悪すぎる。後ろ頭をかきながらそろりと木陰から顔を出した俺を、「やっぱりな」と言いたげなゴンちゃんのにやけ顔が出迎えた。
「まぁ、その……護衛っつか、ちっと心配で……」
 護衛だぁ? とフフンと鼻を鳴らすゴンちゃん。皆まで言うな。どうせ俺は役立たずですよ。
「あの手の変態を、俺が何人半殺しにしてきたと思ってんだよ」
 変態、という一言が俺の胸を抉る。
「森本、真剣だったぞ……。厳冶ってやっぱそういうのダメなわけ?」
 ゴンちゃんは聞こえていない素振りで、腹減ったなぁ、と呆け声で呟きながら夜空を仰ぐ。どちらともなく同じ方向へ、ゆったりと歩き出した。
 ホモなんて願い下げだ、と返されなかったことが、俺にはせめてもの救いだった。

 ゴールデンバットに火を点した拍子に、クスリ、とゴンちゃんが思い出したように忍び笑った。
「森本の奴、お前のことクールだってさ。お前の一体、どのヘンがクールなわけ?」
 実にまったく、疑問を抱くのもごもっともなことで。
 平和主義者といえば聞こえはいいが、単に事なかれ主義の面倒臭がりな俺は人付き合いもいまひとつだったわけで、自慢じゃないが中学生時代からクールな中津君、と女子にはなかなかの人気だったんだ。なるほどクールだと長らく自分でも勘違いしていたが、ゴンちゃんと同居するようになってからというもの、感情の電圧計は振り切れてたりドン底だったり、俺の心の中はそりゃもう毎日お祭り騒ぎ。
 鼻先にふわりと風を感じて機械的に身を引くと、またも俺の目前にはゴンちゃんのドアップが迫っていた。こんな風に人の顔を覗き込むのが『厳冶』の癖なのだろうか? 心臓に悪すぎる。クソ厳冶、俺をおもちゃにしてやがるな。

「夕メシはチャーハンな。もう俺の口ん中、チャーハンになってっから」
「……ギットギトなの、作ってやるよ」
 こうなったらもう“餌付け”しかない。
 ゴンちゃんを油料理攻めにして、俺から離れられなくしてやる。




「……うまいか?」
 お食事中の猛獣にちょっかいを出してはいけない。食ってる最中のゴンちゃんはひたすら無言で、『ガツガツ』ってカタカナを辺りかまわず飛び散らかしている。この細っこい身体のどこに、ラーメンどんぶり一杯分のチャーハンが収まるのか、何度見ても不思議な光景だ。
 ローテーブルにドンと置かれたどんぶりの底を確認してから、もう一度訊いてみた。
「……うまかったか?」
 シーシーと満足げに楊枝を口元で遊ばせていたゴンちゃんの眼に、閃光が走った。俺の背中に走ったのは紛れも無い悪寒。
 プッと楊枝を吹き飛ばし、ゴンちゃんは。
「ご褒美に、こないだ開発した新しい技かけてやる」
 なにその意味不明な暴言。
「俺まだ食い終わって……ッ」
  ゴンちゃんがローテーブルをひらりとまたいで飛び掛ってきた。持っていたレンゲを咄嗟に投げ出し、反射的に受身の体勢を取ってしまう悲しい俺。しかし一拍遅かった。あっという間にマウント・ポジション。
「っちょッ……厳冶ッ! 怒るぞ……ッ!」
 天井の蛍光灯を背にした黒い影が高々と手刀を振り上げた。
 レンガをも割り砕くだろうゴンちゃんのフェバレット・ホールド(得意技)、空手チョップがくる……ッ!
 やがて訪れるだろう激痛に備えて、ぎゅっと眼を閉じた、そのとき。


 ほんの二秒、さっきまでの騒ぎが嘘みたいな静寂。
 怖々と薄目を開けると、 眼を三日月にしたゴンちゃんが、俺を観察するようにしげしげと見下ろしている。
 だから顔が近いんだって。
 えーっと、そ、それで、今――何かが唇に触れた? 気のせい? どっちだ? え?
 
「……い、今……キ……あ、あれ……? 厳冶、俺に……え?……」
「はぁ? ナニぶつぶつ言ってんだ? お前」
 心臓が口から飛び出しそうだ。
 いやだって、チュッ……って。
 唇をしっかり吸われたような感触が――そんな気がするのは――やっぱり気のせいですかそうですか。
「ぐぉ……ッ!!」
 俺の混乱に乗じて、いつの間にか体勢を変えていたゴンちゃん。すぐさま襲う次の責め苦。
 ここできたか、足4の字固め(厳冶式)改めフィギュア・4・レッグロック・デンジャラス・ゴンジ、命名・俺――ッ!
 インテリジェント・センセーショナル・ザ・デストロイヤーも真っ青なほどがっつり入ったッ!
 ゴンちゃん、研究の成果ばっちりだ! 入ってる、決まってるぅ――ッ! 
 レフェリー・スト――ップ…………



  食後の運動を適度に済ませたゴンちゃんは、学校から帰ってきたままの服装で大の字になって寝ている。天下泰平とはこのことだ。ブランケットをかけてやり、ついでに頭を持ち上げて、二つ折りにした座布団を枕代わりに差し込んでやる。そうして、ゴンちゃんを起こさないようにそうっとその隣に寝そべった。
「お前……俺をいじめてそんなに楽しいかよ?」
  柔らかい頬を人差し指でつつくと。
「……うぅ……ん」と、返ってきた甘い声。
 くそう、寝ているゴンちゃんはいっそ塩かけて頭から食っちまいたいくらいに可愛い。
「プロレス技なんかじゃなくって、ご褒美は……」
 ゴンちゃんのふわふわの猫っ毛をかきあげて、息を潜める。
「……これがいいんだけど……」

  神様。あと五秒――ゴンちゃんが、目を覚ましませんように。
 
---end---

参考文献:合気道上達BOOK/植芝守央著/成美堂出版/プロレス技MOOK/日本スポーツ出版社
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