まずいぞ、この状況はさすがにまずい。唾をごくりと飲み下して、胸に手を当てて呼吸を整える。落ち着け、落ち着くんだ。
 ぎゅっと瞼を閉じて、十秒数えた。そして、ゆっくり視界を開く。
「おかえり。またラストか?」
 久賀――もといレンは、そう言ってまた笑った。まいった、声まで久賀だ。
「うわぁ、病院いこう……」
 そんな呟きが、咽喉をすり抜けていた。お世話になるのは、もちろん心のお医者様だ。幻聴から幻覚にバージョンアップしたとなれば、そのうちに怪電波を受信しはじめ天下の往来で魔法陣でも描きだしたりして、近隣の皆様に大変なご迷惑をおかけしかねない。いや、ご迷惑程度で済めばいいが、テレビや新聞を賑わすような事件を起こすようなことになれば、俺が“主演”になってしまうじゃないか。観客席側で粛として生きることを信条とする俺にしてみれば万死に値する愚行、絶対に避けたいキャスティングだ。
 ぞわぞわと背中に冷気が拡がって、額からは悪い汗が噴き出してきた。
 視界のど真ん中で、胡坐をかいた久賀が悠然と缶ビールを傾けている。学食で見た久賀と服まで同じだ。幻覚とは4Kテレビ並みに見えるものなのだろうか?
 即入院だったらどうしよう/苦学生しながら頑張ってきたのに中退は嫌だな/本物の久賀も一番搾り派なのだろうか/レンはどこへいった?/だいたい入院費用なんてどこにあるんだ/待て、一番搾りなんて誰が買ってきたんだ? 金はどうした?/入院前に図書館に本かえさなきゃ/一人息子が異常者でごめん母さん/私服もいいけどどうせならギャルソンエプロンの久賀のほうが良かったな……
 混乱を極める頭の中に、思考の切れ端が走馬灯のように巡る。一度は通り過ぎたそのうちの一片を、俺は、強引に引き戻した。
 そうだ。レンは……オリジナルは、どこへいった?
 久賀から無理やり引きはがした視線をローテーブルの上に振り落とせば、電子レンジのレンは変わらぬ佇まいでそこにいた。ほっとしたのもつかの間、俺は靴も脱がずにドタバタと四つ這いで部屋にあがり、電子レンジの正面に回り込んだ。覗き窓を見てみれば、そこにあるべき丸顔のスマイリーフェイスは跡形もなく消えていて――俺は、再び崩れ落ちた。
「俺が……俺が悪かったッ! 謝る、謝るからお願いッ! レン、元の姿に戻ってッ!」
 丁度、土下座の体勢になったのをいいことに、額を畳に擦り付けて、両手のひらを合わせて肩が抜けそうなほどに頭上高く掲げた。
「嫌だね」
 即答ですか。絶望的な一言が、俺の後頭部を痛打する。半身を跳ね上げて上目でレンを覗き込み、どうしても? と、駄目モトで押し込んでみるが、レンは眉尻を少し下げただけだった。 
「……そうかぁー、ダメかぁ……」
 一つ、俺は長いため息を吐いた。
 だったら仕方がない。諦めがいいのが、俺の唯一の取り得だ。歴代のヒーロー・ヒロイン達が転校や卒業で俺の眼の前から消えていっても、ないものはない、とあっさり諦めてしまえる性分のおかげで、思いのほか早く喪失感から立ち直ることができた。“スーパー”を冠することができるスターは母と久賀だけだから、この二人の去り際にはかなりの努力を強いられるだろうが、きっとまた次のスターが彗星のように現れて俺のスクリーンをカラフルに色付けてくれる――そんな淡い希望に縋りつつ、どうにか乗り越えるしかないのだろう。母はともかく、久賀は大学在学中限定のヒーローだから、今のうちから心の準備をしておかないと。それも、入院を免れた場合の話だけど。

 あるいはこれは夢で、朝起きたらこの苦境からきれいさっぱり脱却しているかもしれないし、そうでなければ明日さっそく心の専門家に煮るなり焼くなりいかようにも料理していただこう。せっかくだから、楽しもうじゃないか。死刑囚だって、最期の食事くらいは望み通りのものが与えられるだろう?
 俺は、靴を脱ぎ玄関に揃えると、久賀――人間型のレンと向い合せに座った。
「……俺のはないの?」
 レンの手にある一番搾りを指さすと、
「こないだのこと忘れたのか? カナ、また記憶なくしたい?」
 カナと呼ばれて少し安心する。一万歩譲って本物の久賀が俺の苗字をメモリーしていたとしても、名前までは知るはずもないからだ。意地悪なようで思いやりを忘れないところも、やっぱり俺のレンらしい。
「まぁ、そうなんだけど。なんとなく酔っぱらいたい気分っていうか……」
「ダメ。もう講義サボりたくないだろ?」
「うん……」
 そう、俺は生活費を自分で稼ぐ苦学生なわけで、ひとつ講義をサボればいくら損したなどと非生産的な計算をしては後悔する、ちっぽけな人間なのだ。送別会の翌日、丸一日大学をサボったあとは、懺悔の日々を一週間ほど送った。歯を磨きながらアーだのウーだの呻いて悶絶していた俺を、さすがレンはよく知っている。

 正面からレンをまじまじと見据え、その再現性の高さにあらためて感嘆する。俺の予想では、いくら妄想の産物とはいえ、眼の前にいる久賀は超高解像度の3Dホログラムのようなもので、バーチャルでしかないわけだから、触れることなど不可能なはず――なのだけど、さて、実際にはどうなのだろう? スーパーヒーローに触れてはみたいが、実に恐ろしきは“触れてしまえた”場合だ。いよいよ俺のイカレポンチ具合が本物だという証左となり得る。だけど、沸々と湧き上がってくる欲求は耐え難いものだった。
 俺は意を決して、その欲求に素直に従ってみることにした。
 恐る恐る人差し指を伸ばすと、歓迎するようにレンは右の頬をこちらへと向けた。ほどなくして、押し返すような弾力性のある柔らかい皮膚に指先が触れる。
「わあ、触れちゃったよ……しかも、あったかいし……」
 もしかして久賀型の精巧なアンドロイドかクローンを、俺を憐れんだどこかの金持ちがプレゼントしてくれたのだろうか? そんなB級SF的空想を巡らせてしまうほど、恐るべきリアリティだ。今度は顔全体を、立体感を確かめるように両手ではさんで、じっくり観察してみた。適度に毛先を遊ばせている髪は濡羽色、前髪を掻き揚げてみると産毛は少しだけくせっ毛。優雅に弧を描く眉と相反して目許はきりりと涼やかで、それぞれが絶妙なバランスで配置されている。淡褐色の虹彩の奥に拡がるのは間違いなく宇宙。鼻は、神様があつらえてもこうはいかないだろうくらいに完全無欠なラインだ。薄い唇は想像以上にしっとりと指先に吸い付き、顎はざらりとして――
 ふと違和感を覚えて、手がとまった。
「……ヒゲ、生えるの?」
「そりゃあ男だからね。ざらざらする?」
 男だけどツルンな俺への痛烈な皮肉にむっとするが、そんなことより、髭剃り痕まで再現されている幻覚だなんて、俺の妄想力の凄まじさに感動すら覚える。レンは、飲み終えたらしきビールの缶をパキリと握り潰し、涼やかだった目許に少しの角を入れた。
「いい加減くすぐったいんだけど……もう気が済んだ?」
「ううん。まだ、もう少し……」
 実は、身体も触ってみたいのだ。幻覚とはいえ男が男の身体を撫でまわすなんて、さすがに躊躇してしまう。拒絶されたら諦めようと決めて、一度は引っ込めた手を、おずおずとレンの肩の辺りへと伸ばしてみる。触れるか触れないかの距離で顔色を窺うが、レンは口許に微笑みを湛えて、ただ慈しむような眼で俺を見ていた。本物の久賀も、こんな穏やかな視線を家族や彼女へと向けているのだろうな、と思いを馳せる。たとえバーチャルだとしても、胸の辺りがじんわり温かくなるようなこの視線の先に、今、俺がいることに誰へともなく猛烈に感謝したい気分。なるほど、実体化したレンは、コンビニ弁当や牛乳じゃなくて、俺の心をあたためてくれる存在というわけだ。それなりに楽しく生きているつもりでいたけど、自覚がないだけで、本当は幻影に囚われるほどに俺の心は冷え切っていたのだろうか? ……涙が出そうだ。

 まずは両肩のラインをなぞった。身じろいだレンのほんの僅かな動きにしなやかに連動する骨格と筋肉の起伏に陶然と酔いながら手を滑らせ、次は腕と指の雄らしい感触を楽しむ。それから――俺の一番の目的だった心臓の辺りに手のひらをあててみれば、思った通り、生の象徴が密やかに脈動していた。うん、やっぱり俺の妄想力は偉大だ。
 これは俺のレンなのだからなにをしてもいいのだ、とばかりに増幅した好奇心に促され、俺は、トクントクンとリズムを刻む心地良いパルスをもっと身近に感じたくて、レンの胸に耳をあてた。
「胸板、けっこう厚いんだね。細身だと思ってたけど……もしかして、腹もシックスパックだったりするのかな?」
 気恥ずかしさを誤魔化すためにそんな戯れ口を投げかけてみると、両脇に差し込まれたレンの腕に力が漲り、ぐっと引き寄せられた。サービス精神旺盛なレンは、2.45GHzのマイクロ波で心だけじゃなく身体をもあたためてくれるようだ。上半身の体重を一グラムも残さずレンへと預けて、繭のゆりかごに溺れきっていたら、不意に顎をすくわれ、上を向かされた。タイマーが切れたかとレンの瞳を覗き込むと、慈愛に満ちていた眼差しは、なにか思い詰めたようなものに変化していた。その理由が読み取れずに、首を傾げた。
「カナ……誘ってる?」
「……誘う?」
 友達同士がそうするように久賀型のレンと一緒に登校したりしてみたいけど、一般人から見れば、俺は電子レンジを抱えて徘徊する異常者だ。だからどこへも誘ったりしない。
「んン……ッ!?」
 吐息が頬を掠めた次の瞬間には唇をふさがれていて、心臓がドクンと音を立てて跳ね上がった。なにが起こっているのか理解できずにしばらくは石のように固まっていたと思う。行き場を失くして宙に投げ出されたままだった両腕の重みが、俺を引き戻した。齢二十二にして性的経験値ゼロな俺に同情しての過剰サービスなのだろうが、記念すべきファーストキスの相手が電子レンジな俺の身にもなってみろバカ野郎! と、心の中で毒づいてみても、これは俺の創造した妄想ワールドでの出来事、つまりは俺の願望ということになる。人間の思考のうち自覚できるのはわずか一割とのことだから、残り九割の無自覚な俺はレンのキスを求めたのだ。レンは“男”なのに――? 深層心理とはまったく厄介なものだ。(完璧緻密に再現された)久賀のドアップを拝めるなんて最初で最後かもしれないが、とてもじゃないが眼を開けてなどいられない。レンのキスは、ただ唇を触れ合わせるだけの、子供じみたそれではなかったからだ。上唇と下唇を交互に吸われたかと思えば食われる恐怖に怯えるほどに唇全体を吸い上げられたり、くすぐるように口角を舐められたかと思えば細めた舌先で侵入を試みるように合わせ目を強くなぞられたり――そんな、俺が抱いていた“キッス”のイメージからはほど遠い、粘り気のある生々しい接合が、顔の角度を変えては繰り返される。俺は、全身の筋肉を硬化させて、暗闇の中でじっと時が過ぎるのを待つしかなかった。

 カナ、と囁き声で呼ばれて、ようやく解放されたかと薄目を開けた。
「歯、食い縛らないで。口開けて?」
 嫌です。力いっぱいお断りです。頑として口を閉ざしている俺に、レンは悪戯っぽく笑いかけてから、俺の顔の上に手のひらをかざした。
「いてッ!」
 結構な力で、鼻を摘み上げられた。予想した中でも最悪な展開に備えて、意地になって唇を真一文字に結ぶが、我慢できたのもほんの数十秒。ぷはぁと息を継いだ俺の口の中に、すかさずレンの舌が差し入れられた。
「ンン……ッ!」
 さすがに承服しかねて、抵抗を試みる。レンの胸に両腕を突き立てて全力に押し戻そうとするが、すぐに徒労だと思い知らされた。体格が違いすぎるし、腰はがっしりホールドされていてどうにもならない。無駄な骨折りはしない主義なので早々に抗うのは諦めて、結果、されるがままとなる。
 レンの熱い舌は逃げようとする俺の舌をあっという間に絡めとってしまう。そして、卑猥な水音をたてながら、俺の腰椎の辺りに囁きかけるように、明確な意思をもって蠢く。なにか別の生き物のように絡みついてくる塊は、レンの舌だとは思えないほどの無遠慮さで俺を翻弄し、思考力を根こそぎ奪おうとする。頭の中では際限なくレンのブザー音が鳴り響いていて、脳天から噴火してしまいそうだ。
 まだるい痺れが、さざ波のように背中一面に広がって、身震いした。いつの間にかシャツの中へと忍び入ったレンの手が、俺の脇腹や腹を上下にスライドしていた。痩せてあばらの浮き出た貧乏人を労わってくれているのだろうが、とにかくくすぐったい。身を捩って耐えていたら、レンの温度はするりと胸へ移動した。レンの指先は、両胸を行き来しながら、突起をつまんだり転がしたり、指の腹でかすめるように弄ったり押しつぶしたり、痛いほどに爪を立てたりして、疼きつづける不可解に凝固した俺の中のなにかを溶かし出そうとする。心も身体も、もう十分にあたたまっているし、ありがたくもキスまで(疑似)体験させてもらった。これ以上のなにを俺にくれようとしているのだろう?

 想像も及ばなかったところに刺激を受けて、戦慄が走った。身体中の血がごうごうと音を立てて頭に結集していく。今度こそ俺は、渾身の力でレンの半身を押し返した。
「どッ――どこ触ってんだよッ!」
「黙って……壁、薄いだろ? この部屋」
 言いながらレンは、デニムの前を鮮やかな手付きでくつろげ、下着から俺の一部分を難なく引き出した。レンの舌と手に導き出されたのだろう欲望が雄の形にわかりやすく変貌を遂げていて、それを認めた途端に、全身に火が放たれたような感覚に襲われた。芽生えては打ち消してきた予感がついに現実となり、羞恥なのか恐怖なのかわからない感情がぐちゃぐちゃに入り混じって、歯の根も合わぬほどに身体中が震えだす。これまでのレンの挙動が、肉体同士を交配する動物的行為の導入部だと確信するのに、低すぎた経験値のせいかずいぶんと時間がかかってしまった。自分の愚鈍さに唇を噛む。愛し合う者同士が絆を確かめ合うためであれば神聖で美しい営みだが、俺の場合は違う。電子レンジに欲情するなんて変態の極みだ。
 いや――まさか俺は、無意識に久賀を、こんな穢れきった欲望の対象にしていたのだろうか? そんな疑惑が頭を過ぎって絶望する。神格化すらしていた久賀に汚物を塗りたくるような所業は、レンが久賀の姿をしている以上、絶対に許されないのだ。絶対に。
 どうにか逃れなければ。気持ちばかりが上滑りして思うように四肢を動かせない。僅かに残された理性の欠片を必死にかき集めているうちに、上半身はすっかり裸に剥かれて、俺は、レンに組み敷かれていた。重みで肺が潰されそうだ。上手に息を継ぐことができず、咽喉がせり上がってくる。
「……やッ……め、レンッ!!」
「誘ったのは、カナだろ?」
 責めるようにそう言って、レンは上体を起こして俺の下腹へと視線を走らせ、持続する疼きに変化したままのそれを見て満足そうに眼を細めた。咄嗟に逃げを打った俺の肩を、片手で易々と差し止める。そして、俺に見せつけるように一本ずつ長い指を折り曲げていき、ついにレンは、俺自身をその手中に収めた。一回、根元から先へと擦りあげられただけで、総毛だつような痺れが背筋を突きぬけていって、腰が跳ね上がる。それをほんの数回繰り返されただけで、もうだめだと思った。ぎゅっと眼を閉じる。予兆を感じ取ったのか、レンは焦らすように親指の腹で先端をゆるゆると嬲りだした。そうしながら唇を俺の首筋へ、鎖骨へ、胸へ、腹へと順に落としていく。辿る先になにがあるのかを思い当って――多分俺は生まれて初めて、慄くほどに激しい“怒り”という感情を覚えた。

「久賀を汚すな――ッ!!」
 気が付けば、ありったけの力でレンの右頬をはじいていた。殴られた頬を俺へと向けて俯いていたレンがゆっくり顔を上げた時、その双眸には、悪意を帯びた不気味な光が宿っていた。切れた唇の端に滲みだした鮮血が、凄みを際立たせている。
 俺を十分に眼で冷殺してから、レンは、静かに口を開いた。
「……へえ……カナには、久賀が聖人君子に見えるわけ?」
 底冷えするような暗く低い声色でそういわれて、身が竦んだ。バイト先でも大学でも、こんな久賀の声は聴いたことがない。
「それとも久賀は、人間ですらない?」
「そ……んなこと……」
「憧れのアイドル久賀が、セックスなんて汚らしいことしちゃだめだって? しかも男と?」
 声を失くした俺に、感情が堰を切ったように、レンは続けざまに疑問符を投げつけてきた。
「カナは久賀の中身なんてどうでもいいんだろ? 理想のヒーローしてくれる奴なら久賀じゃなくたって、誰だっていいんだよな? カナがうっとりできれば、それで満足なんだろ?」
 レンのいう通りだけど、それの一体なにがいけない? 誰にも、もちろん久賀にも、ひとかけらも迷惑をかけてないし、ただ憧れて遠くから眺めているだけなのに。どうしてレンが久賀の姿を借りたのか、どうしてその姿になってまで久賀を貶めようとするのか、どうして俺を苦しめるのかまるでわからない。レンは、いつでも俺の欲しい言葉だけをくれていたじゃないか。
 恨み言が渦巻く頭とは裏腹に、きっと俺は、哀願するような眼でレンを見ているに違いない。
「生憎だったな、俺だっておっ勃つんだぜ? 惚れた相手をどうやって攻め落とそうか考えながら毎晩オナってんだよ。頭ん中でそいつをどんな風に犯すか、教えてやろうか?」
「嫌、だ……聞きたくない……」
 首を振って両手で耳をふさぐが、有無を言わさぬ力で引きはがされ、無理やりに視線を合わされる。止めどなく溢れ出した涙を、どうにも抑制できなかった。
 バカの一つ覚えみたいに久賀の話を繰り返す俺に、呆れながらも毎夜遅くまでつきあってくれていたのはレンだろう――?
「なんで……そんなこと言うんだよ。俺にとって久賀がどういう存在か……レンはよく知ってるくせに」
 いつでも俺を夢見心地にさせてくれた久賀の顔が、これ以上ないほどに醜くゆがんだ。
「お前のその瞳はいつだって、俺って人間を全否定してるんだよ」
 聞いたこともない呼気音が、喉奥から漏れた。いっそその尖った視線で俺の眼球を刺し貫いてくれればいいのに。
「……逃がさないよ? カナ」
 押しつぶす勢いでのしかかってきたレンのその言葉が嘘ではないことを全身で感じ取り、俺は、網膜に投影された全ての映像が無残に焼けただれていく様を、放心して見ていた。
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