柔らかい毛布。
 柔らかい日差し。

 瞼を開くのが、酷く勿体無く思える。
 昨晩、嵐を狂わせたその場所は、鈍痛を伴う熱を持って疼き続けている。全身の骨や肉は本来の位置からずれて、機能することを完全に拒否しているようだ。
 だが、不思議と気分は良い。最高、と言ってもいいほどに。

 心地良く鼓膜を擽る囁き声に促され、嵐は漸うと瞼を開いた。
 最初に眼に映ったのは、なだらかな眼差しを落とすマイケルのポスター。
 視線を、囁き声の方へと流す。ガラステーブルを挟んで額を突き合わせ、嵐を起こさないように気を使ってか聞き取れないほどの小さな声で会話する光彦と純生。互いに微笑を浮かべ、時折、小突きあったりして実に仲睦ましげである。
(良かった……。純生、怒ってないのか)
 嵐の眼許が自然と綻ぶ。
 この部屋の空気は三人揃って初めて、喩えようもないほど心地よい、穏やかなものに変わるのだ。誰か一人欠けても、この幸福は失われてしまうだろう。
(やっぱり俺、こいつらのこと好きなんだろうなぁ……)
 そんな実感が胸に熱く迫ってきて、嵐は、しみじみと二人の横顔を交互に見、雲の上を漂うような気分に陶酔した。

 陽光がきらきらと交差する草原で、仔犬がじゃれあっている光景を見るような幸福感が止め処なく湧き出してくる。
 さしずめ、グレート・デンとポメラニアンの仔犬といったところか。
 ジャーマンシェパードとチワワ?
 ドーベルマンとトイプードル……?
 毛布の中に顔半分を埋めて、取り留めなく想像を巡らせる。
 再び、重くなってきた瞼。
 嵐の意識が遠退きかけたとき――。

「ちょっと待て。それはおかしい」
 突然、語気を荒げた光彦の声が、嵐を現実世界へと引き戻した。

「だって次の日、授業どころじゃなくなっちゃう。光彦には判んないかもしれないけど、辛いんだよ?」
「そりゃそうだろうが……。 じゃあ平日は涙を呑むとして、この、『サポ専日』ってのはナンなんだよ?」
「文字通りだよ。光彦はサポートに徹するの。僕らにアレコレ指示を出してくれればいいの」
「はぁ? 俺ぁ見てるだけかよ? まぁ、嵐には相当勉強してもらわねぇと俺もな……しかしそりゃーあんまり切ないンじゃねぇか? 手を出すぐれぇ許せよ」
「駄目。甘やかしたら成長しないでしょ? 嵐が一人立ちするまでの二ヶ月間だけだもん。その代わり、冬休みは少し光彦のほうが多いよ」
「冬休みだぁ? いつの話だよ……。駄目だ。全ッ然、納得できねぇ。なんで俺が週二で、お前が週三? どう考えても数が合わねぇだろ?」
「せっかく徹夜で作ったのに文句ばっかり……光彦相手に週三だなんて、嵐が壊れちゃうでしょッ!」
 興奮して声を高くした純生の唇に、「シッ!」と光彦が手のひらを押し当てる。
「……嵐が起きるだろうが」
「起きてるぞ」

 毛布を身体に巻きつけ、辛そうに腰に手を当てて這いずってきた嵐が、光彦の広い背中の向こうからヌッと顔を出した。純生は色を失って呆然と嵐を見上げている。片や光彦は、純生の唇を押さえたまま固まって動かない。
 嵐は、光彦の肩に顎を乗せて、ガラステーブルに広げられたA3サイズの用紙をしげしげとみて、
「……ふーん……」
 どす黒い怒気を篭らせた掠れ声を漏らした。
 用紙の隅には『年間予定表』の文字。何の予定表かは、二人の会話から推理済みである。
 恐ろしく細かく縦横に引かれた線の、交差する隙間に、白黒の記号がひしめき合っている。『嵐』と記された列はひしめき合っているというより、殆ど塗りつぶされていた。

「お前ら……俺を殺す気か……」

 純生が貫徹して綿密に仕上げた年間『セックス』予定表は、すぐさま嵐の手によって跡形なく細断され、二人は、罰として一ヶ月の禁欲を言い渡された。

---end---
PAGETOP