ポルノ・スター

 賑やかな大通りからたった一本外れただけの路地だというのに、辺りはうらぶれた空気に包まれてどんよりとしている。トタン屋根の小さな町工場から響く規則的な金属音と、近くの鉄橋から聞こえてくる電車の音が、物悲しいアンサンブルを奏でていた。

 袖を通さず、軽く羽織っただけのコートの裾が、冬風をはらんでぱたぱたと泳ぐ。
 流石に雪駄じゃ寒くなってきたな、とぼんやり考えながら、新は所々剥がれ落ちたタイルの隙間から雑草が覗く、古い雑居ビルの鉄製の重い扉を開いた。
 雪駄とコンクリートの擦れあう乾いた音を反響させながら、一気に四階まで階段を駆け上がり、アルミ製のフレームにプラスチックの窓がはめ込まれた安っぽいドアのノブを回した。

「――あれぇ? オッサン、いねぇの?」
「あ、本告さん」
 数珠繋ぎに接続された何台ものビデオデッキの前で、片膝をついてダビング作業に精を出していた三下の山岸が、八重歯を覗かせ愛嬌ある笑顔を新に向けた。
「老松の兄貴は、今日会合っス」
「ナンだよ、人のこと呼び出しといて……」
 山岸は、ヤニで煤けた茶色い壁に掛かる時計をチラと見上げて、
「多分もうすぐ帰ってきます。これ終わったらコーヒー入れますから、くつろいでてください」
 と、山積みにされたビデオテープを、手際良く次々とデッキに差し込んでいった。

 新は、にやにやと薄笑いを浮かべて、床に無造作に置かれた《済》と書かれているダンボールの中から、テープを一本抜き出した。
「なぁこれ、ヌけるヤツ? ――デッキ、どれがモニタに繋がってんの?」
 山岸は、「さぁ?」と意味ありげに肩を竦ませて、AV棚の一番高い位置に収められたデッキを指差した。
 テープを挿入口に差し込み、再生ボタンを押す。
 新は、テーブルの上に置かれていたリモコンを手に取り、悠然とソファに腰を下ろすと、煙草に火を点けた。
 低い摩擦音が鳴り止むと同時に、カチャリと軽快な音を立ててビデオは再生され始めた。

 画面が完全に明るくなるのを待たずに、「うーん?」と、新は間延びした声を上げた。ソファから半身を乗り出し、眼を細めて画面を凝視する。

 フレームの中央に『白い何か』が芋虫のように蠕動している。その周りを浅黒い複数の『何か』が取り囲んでいる。白と黒のマーブル模様が妖しく混ざり合う画面に、時折、キラリと光るものが横切るが、その閃光の正体がなんなのか、皆目見当がつかない。

「山岸ィ、なんだよコレ。いくら宅配ビデオっつっても、こんなひでぇ画像で売りモンになるのか?」
 山岸は、ああ、と思い出したように言い、
「それ、わざと画像を荒らしたんです。もう少しモニターから離れれば、なんとなく何やってるか解りますよ」
「――わざと? 意味わかんねぇ」
 新は、気だるそうに立ち上がるとソファの後ろに回りこみ、さらに数歩下がった。
「上からの命令なんス。なんでも、商品価値が下がる、とか言って。――オリジナル、観ますか?」
 山岸は、「ついでにコーヒー入れてきますわ」と、事務所の奥に引っ込んだ。

 新は、モニターから五メートルほど離れた位置で、腕組みをしながら顰め面で画面を眺めていた。
 確かに、ソファの位置から観るより幾分ましだったが、絡み合ってるのは『人』だろう、と辛うじて推測できるレベルだ。
「こんなものに金払うヤツの気が知れねぇな」
 新は独りごちた。

 やがて戻ってきた山岸は、コーヒーカップをテーブルに置き、
「へへへー」
 と自慢げに笑って、上着のポケットから小さなカセットを取り出した。
「コレ、ちょっとスゴいっスよ」
 嫌というほど裏ビデオを見ている山岸のお墨付きとあっては、かなり期待が持てる。
「勿体ぶるんじゃねぇよ。早く見せな」
 新が、不愉快を露わに眉間に皺を刻んで顎をしゃくった。山岸は慌てて、八ミリビデオ用のスロットにカセットを差し込み、再生ボタンを押した。

 ――突然、そのシーンは始まった。

 定点から撮影されているらしき映像は、当然アングルの切替もなにもなく、編集すら施されていなかった。画面は、数人の男たちの背中で覆いつくされ、犇めき合う肉の隙間から白い肌がちらちらと覗いている。
 肝心な女優の姿が良く見えない。時折聞こえてくる掠れた喘ぎ声と、男達の荒々しい息遣いだけが妙に鮮明で、生々しかった。

 しばらく観察してようやく、荒れた画像に横切った光るものは、女優の頭髪だと分かった。
「洋モノ?」
 と訊ねると、
「まぁ、観ててください」
 と素っ気無く返され、新は忌々しげに小さく舌を打ち鳴らした。

 いきなり画面が揺らぎ、天井や壁がせわしなく映し出され、ピントがぼやけた。カメラをハンディに持ち替えたらしい。
 耳障りな衣擦れの音とともに鮮明になった画面は、鍛え上げられた男性の下半身にその焦点を合わせた。
 屹立した男性器に、白く細い腕が伸びる――若々しい艶のある肌だが、肉感をそそるような色気は無い。ありがちな毒々しい色のマニキュアも見て取れず、新は怪訝に首を傾げた。

 ブロンドの女優が、ゆっくりとその姿を現した。

「――ガキの上に……男じゃねぇかッ!」
 新は茫然と叫んで、咥えていた煙草をポトリと床に落とした。
 山岸は、熱を帯びた眼で、モニターを注視している。

 無心に愛撫を施す少年の眼には、不可解な色があった。
 感情の一片も見て取れない、しかし虹色の輝きに心を奪われる――昆虫の複眼のような不可解さだ。その唇から覗く赤い舌は、猛毒を皮膚から滲ませる爬虫類のような鮮烈さで、新の眼窩を刺激した。
 およそ『人』としての形容があてはまらない、奇怪な美しさに慄然として、新は思わず身を竦ませた。

「クソが、変なモン見せんじゃねぇよ!」
 新は、持っていたリモコンの角で思い切り山岸の頭を弾くと、その先端をビデオデッキに向けた。
 停止ボタンを押そうとしたその時、少年が愛撫する男の横顔がフレームの端に現れ、新は息を呑んで動きを凍らせた。
 男は、手で少年の後頭部を押さえ込み、自ら緩々と腰を動かしはじめた。その振動に促されて、肩まである髪の毛が、はらりとひと房落ちた。男の髪は、見事なまでに紅く染め上げられていた。

 ――新の頭の中で、ひとつひとつ符号が照合されていく。

「よぉ、新。いいモン見てんじゃねぇか」

 何時の間にか、新を呼び出した張本人、老松充宏(オイマツミツヒロ)が、一人悦に入ったような笑みを浮かべて、新の背後に立っていた。
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