TOKAREV TT-33

 JR上野駅の改札を抜け、首都高速沿いに御徒町方向へと歩く。朝の十時を過ぎたばかり、駅前は買い物客で賑わっていたが、この昭和通りを激しく往来するのは車ばかりで、人影は殆ど見て取れない。
 咽帰るような車の排気に胸を悪くしながらも、愛生は目抜き通りを歩くことを避けた。一歩足を踏み出すごとに、コートの内ポケットに忍ばせている大金が、ズシリと存在を訴えかけるからだった。

 先日渡辺と落ち合った古びた喫茶店の前で立ち止まると、愛生は四方に目線を巡らせ、自宅を出る前に頭に叩き込んでおいた地図と風景を照らし合わせた。温泉街にあるようなうらぶれたパチンコ屋が一階に鎮座する、暗灰色の細長いビルを目指して細い裏路地へと入る。無意識に、愛生の歩調は早くなっていった。

 『J's military』と刻印された鉛製のプレートが掲げられたドアを開くと、建物の外観と一転して明るく、ブランドショップと見紛うばかりの小洒落た空間が広がった。オーク材で覆われた壁面には、所狭しとモデルガンやアーミーナイフが陳列されている。乳白色の照明効果か、木目と無骨な鉄の質感が不思議と調和していて、落ち着きがあった。
 愛生が抱いていたミリタリーショップのイメージは、むさ苦しいマニアの出入りする鬱然としたものだった。あまりの落差に、半ば呆気に取られながら、愛生は店内を見回した。

 銃など、ドラマか映画でしか見たことがない愛生の眼には、全てが実物に映った。どれも玩具とは思えないほど精巧に複製された品ばかりで、本物か否か、知識の無い愛生には皆目判断が付かない。値段も相応だ。子供が小遣いで買えるような代物ではなかった。
 威嚇だけの目的であればレプリカでも充分ではないか? 
 一瞬、過ぎった考えは、ただちに打ち消された。いざという時に威力を発揮しなければ意味が無いのだ。

 ガラスケースの向こうに、三十代後半らしきスキンヘッドの男が座っていた。ミリタリー調の服で全身を固めているが、着こなしは極めてシンプルで、爽やか、とまではいかないが、マニア独特の胡散臭さは感じられなかった。男は、雑誌を捲る手を時折止めては、穿つような尖った視線を、愛生に向けていた。

 不意に、視線が交差した。男は、眼を逸らそうとしなかった。愛生は唾を飲み下すと、強く両拳を握り締め、重々しい足取りで男に近付いた。
 渡辺から指示されていた言葉を切り出そうと口を開いた刹那、男は片手を跳ね上げて愛生を静止した。
「ヤンクの八月号でしょ?」
 男自ら、愛生の咽奥に用意されていた台詞を言ってしまった。戸惑う愛生の顔に一瞥を投げると、男は嘲笑のような笑いを口辺に刻んだ。

「アンタみたいな、『虫も殺したことありません』って顔したヤツは、大抵そう言うんだよ」
 立ち上がった男の目線は、愛生とほぼ同じ高さにあった。絶えず相手を威圧するような凄然とした空気を漂わせながらも、筋骨隆々というわけでは無く、どこかしなやかな印象を受ける男だった。
 右の眦から頬にかけて、スッと一筋、ナイフで切りつけたような古い傷跡を認め、愛生の背中に冷気が伝い落ちた。


 男に誘われ、愛生はグランドチェロキーの助手席へと乗り込んだ。上野から車で十五分とかからない荒川の河川沿いにある、廃屋と化した倉庫の前で静かに車は停車した。すぐ隣には小さなプレス工場があり、開け放しの窓から絶えず激しい騒音を撒き散らしている。
 男は、車から降りると錆付いたドアの前に立ち、太い鎖からぶら下がる巨大な南京錠を外した。蝶番の軋む耳障りな音とともに、倉庫のドアは重々しく開いた。運転席に戻った男は器用にハンドルを操り、倉庫の中へとグランドチェロキーを滑らせた。

 しっかり内鍵をかけると、男は車のトランクからアルミ製のアタッシュケースを取り出し、床に置いた。
「さて――なにが欲しい?」
 アタッシュケースの中からは、無造作に新聞紙で包まれたいくつかの塊りが姿を現した。その昔、映画のワンシーンで観たような、現実味の無い光景だった。
「護身用の、小さなものでいいんです」
 愛生は、意識して『銃』という言葉を避けた。
「安いのは旧ソ連製……といっても実は中国製のコピーなんだけど、これ、トカレフTT-33ね。それとマカロフ。……あとは改造銃、これが一番安い。安全面の保証はできないがね」

 次々に新聞紙を引き剥がし、男はコンクリートの地面に三丁の短銃を置いた。
 愛生は目を疑った。目前に並べられた『実物』のほうが、レプリカよりはるか安っぽく、玩具のように見えたからだ。
「金さえ出しゃ、コルト、ベレッタ、ルガー、ワルサー、オートからリボルバーまで……ウージーだって手に入れられる。サブマシンガンね。今、在庫はないけど」
 実銃を目の当たりにして興奮した愛生の耳に、男の声は届いていなかった。
 愛生の瞳の奥を探るように、男の眼が光った。その視線の先にあるトカレフTT-33を手に取り、「どうぞ」と、おもむろに愛生の掌に乗せた。

 見た目はまるで玩具だが――重い。愛生が想像していた以上だった。
「30口径、7.62ミリ。銃身を付け替えれば9ミリ・パラベラムでもいける。軍用だから貫通力はすごいよ。普通の防弾チョッキなんて役に立たないね。グリップが細いから日本人の手にはしっくりくるけど……逆にアンタの手にゃ小さいかもな」
 愛生は実際にグリップを握り、トリガーに指をかけてみた。銃身を左右に回転させて、じっくり観察する。使い古された傷だらけの銃身、ひんやりとした鉄の手触り――。
 『本物』だという実感が、じわじわと湧き上がってきた。

「アンタ、誰の紹介?」
「え? あぁ、渡辺さんです。探偵の」
「そいつと、実弾十六発を詰めたマガジン二つ、ショルダーホルスター、渡辺への紹介料込みで百万……どうかな? 即金なら五十発、ここで試射させてあげるけど」
「お願いします」
 愛生は即答した。心には一片の迷いも無かった。

 男は、床に積み上げられていたベニヤ合板の一枚を引き抜き、壁に立てかけると、人型のシルエットが印刷された紙を工具で打ち付けた。発砲スチロールで塞がれた窓の隙間から差し込む数条の光りに、舞い上がった粉塵が映し出される。
「十ヤードってとこか。子供でも当たる距離だ」
 右腕を胸の位置に真直ぐ伸ばした瞬間、男は狙いを定めるでも無く、立て続けに二発、発砲した。

 パンッ、パンッ――。
 爆竹を鳴らしたような渇いた破裂音が壁面に反響し、愛生の鼓膜を貫いた――と同時に、白煙とともに銃身から吐き出された薬莢がコンクリートの地面に弾み、微かな金属音を立てた。
 銃声は、隣接したプレス工場からの騒音で、あっというまに掻き消されてしまった。
 硝煙の臭いが、ツンと愛生の鼻を突いた。男が放った二発の銃弾は、見事にシルエットの心臓を貫いていた。
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