純生の場合

 根岸 純生(ネギシ スミオ)は、ちょっとその辺にはいない美少年である。

 どのくらい美少年かと言うと、母親のことを「ママン」と呼ぶくらいの凄い美少年である。

 父・英彰(ヒデアキ)は国際線のパイロットで、十八年前のある日、シャルル・ドゴール空港でフランス人の国際的バイオリニスト、カトリーヌ・ドレーと運命的な出会いをした。
 その世界を股にかけた愛の結晶が純生というわけなのだが、日仏の遺伝子の配合具合がなんとも絶妙であった。

 透けるような白い肌にスラリと伸びた四肢、軽くウェーヴした亜麻色の髪の毛、ゆるやかな美しい曲線を描く眉毛、スッと鼻梁の通った決して高すぎない鼻、桜色の艶めいた薄い唇。咽ぶような睫毛に縁取られぱっちりと開いた双眸には、薄墨色の虹彩が透明な輝きを放っていた。
 その誰もがため息をつくような造形美を作り上げた優秀な遺伝子が、唯一純生の与えてくれなかったのは、身の丈だけであった。中学三年のとき百六十六センチでピタリと止まり、以降一ミリたりとも伸びることはなかった。

 両親は、年の三分の二は海外で過ごす超多忙な共働き夫婦である。
 純生の生まれる前から根岸家に勤めているお手伝いの『ひろさん』は、掃除洗濯、食事の用意、家屋の管理、純生の教育…等々を完璧にこなしてはいたが、慇懃無礼で、どこか近寄りがたい印象の女性であった。
 人気のおもちゃや最新のゲーム機がいつも純生の部屋いっぱいに溢れていたが、幼少の頃は、窓の外を行く親子連れを見る度、涙が溢れてくるのを我慢することができなかった。

 純生が小学校四年生のある日、父親が大きなダンボールを抱えて帰宅した。「またプレゼント?」と尋ねると、父はにこりと笑い、「これは私たちと純生を繋ぐ魔法の箱だよ」と答えた。
 箱を開けると、デスクトップタイプのコンピュータが入っていた。
 父親は、マニュアルを読みながらしばらく、配線を繋いだり、小さな丸いものを取り付けたり、キーボードを叩いたりしていたが、やがて作業が一段落すると、

「十時になったら、面白いことがあるから、しばらく待っておいで。楽しみにね」

 と、純生の頭を優しく撫でた。純生は、今までのプレゼントと何かが違うことを感じて、期待を膨らませていた。

 そして待ちに待った夜十時。父は再びパソコンを立ち上げるとモニターに向かった。画面には次々と四角い窓のようなものが現れては消え、純生は目をチカチカさせながらもその様子を見つめていた。
 やがて二つの窓が開いたところで父はピタリと手を止めた。
 小さい方の窓に、三ヶ月前にアメリカへ行ったきりの母親の横顔が映し出された。

「あ、ママンの写真」と、純生。

 暫く眺めていると、写真がパッと変わり、今度は正面を向いた笑顔の母親がモニターに現れた。画面はゆっくりとビデオのコマ送りのように変わっていき、その度に母親は手を上げたり、下を向いたりしている。
 不思議に思って父の顔を見上げると、にこにこと笑いながら「純生、あそこを見てごらん」とモニターの上に取り付けられた小さな球体を指差した。父親は、球体の中心に埋め込まれているレンズの様なものを、純生の顔に向けた。
 やがて、大きな方の窓に、一行の文章が現れる。

『Aisuru Sumio. Kaze ha naotta?』

 ―――アイスル スミオ。カゼ ハ ナオッタ?

「そう、この箱は、今シカゴにいるカトリーヌと繋がってるんだよ。ママンに伝えたいことはあるかい?」
無言で立ち尽くしている純生に、父は優しく問い掛けた。

「…うん、もう元気だよって」

 カチャカチャとキーボードに打ち込む父。
 リターンキーを押すと暫くして、

『Un, mou genki dayo!』

 と、大きい方の画面に現れる。

『Sumio, motto kao wo yoku misete.』

 父がソフトボール大の球体を純生の顔に近づけて「笑ってごらん」と言った。照れながら俯き加減にニコリと笑みを浮かべる。
 次に小さい窓に映し出された母親の顔は、泣いているとも笑っているとも見て取れる複雑な表情であった。
 何気ない文章のやり取りを続け三十分ほどで通信は終わったが、三ヶ月ぶりに母の顔を見た純生は、懐かしさに耐え切れず父の胸の中で泣いた。

「毎回写真つきはムリだけど、純生が僕たちとお話したいときには、いつでもこの箱を使えばいいんだよ」

 純生の背を優しく撫でながら、父はそう囁いた。


 両親は、海外に行っても一週間に一度は必ず国際電話を掛けてくれる。しかし、純生は電話を切った瞬間に、お祭りが終わった後のような酷く淋しい気分になってしまい、いつも泣いてしまうのである。
 しかし、この箱は違う。電話はいつも一方通行で掛かってくるのを待つしかなかったが、この箱は、自分からメールを出すことも出来たし、学校から帰ってくると、毎日決まってどちらかのメールが入っていて、何度も読み返すことができた。それに口下手な純生も、メールで文章を書くとなると、普段言えないようなことを素直に打ち明けられたりするのであった。


 これが、純生とコンピューターとの出会いである―――。

 それからというもの、純生はネットの世界に夢中になった。
 当初は、単なる両親とのコミュニケーションツールでしかなかったコンピューターだった。しかし、幼いころから両親が日本語と英語とフランス語をチャンポンで会話していたせいもあって、言葉に不自由しなかった純生は、そのうちオンラインで知り合った友人を世界中に持つことになる。
 そして、イスラエルの友人の影響でプログラミングに嵌り、パイソンから始まり、ジャバ、C、C++、パール(どれもプログラミング言語)……と、スポンジのように吸収していった。純生の部屋はみるみるうちにコンピューターの台数が増え、あっという間に八台にまで増殖していたのである。

 純生は、高校に入学する頃にはハッカーとして、アンダーグラウンドではそこそこ名の売れた存在になっていた。クラスでは引っ込み思案な純生も、ネットの上ではとても饒舌で、また、人気者であった。
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