作為的な偶然?

 三人は、一学年十クラスあるいまどき珍しいマンモス小学校で、奇跡的に六年間同じクラスだった。その上、親同士が知り合いと言うわけでもないのに同じ私立中学を受験し、蓋を開けてみれば入学してからも三年間同じクラスだった、という腐れ縁ぶりである。
 小学校一、二年の頃まで、三人はお互いを特に意識することもなく、当然、会話も無かった。しかし年度が変わるたび新しいクラスメイトたちの顔ぶれに囲まれると、新たに友人を作る努力をすることを面倒だ、と感じる人付き合いが今ひとつ苦手な三人である。かといって小学校という閉鎖的な社会で孤高の一匹狼を気取るリスクは、九歳やそこらの子供といえど充分に理解している。
 あ、今年も一緒だ、え? 今年も?? えぇぇ、またぁ? ……と年数を重ねるに従って、三人はある種作為的、ともいえる偶然に導かれるように、親友へとその関係を昇華することになるのだが…いや、この三人に限って言えば、『親友』という名詞は当てはまらないかもしれない。

 休み時間になると、なんとなーく、三人のうちの誰かの席に集まるのだが、お互いに然して興味を抱いているわけでもなく、共通の話題も無く、ごくたまーに、「給食まずかったな」とか、「消しゴムかして」とか、そんな箸にも棒にもかからない会話が二、三言交わされて一日が終わるのだ。
 嵐はポータブルCDプレイヤーを聴きながらシェイクヘッド2でエアギターを黙々と掻き鳴らしていたし、電波前の純生はファンタジーワールドの住人であったし、光彦はどこから持ってきたのか机の上にドンブリを置き、チンチロリンのサイの出目を思い通りに出せるよう練習していたりした。
 強いて言えば、チェリー時代の光彦はまだ社交的で、たまに他のクラスメイトたちと戯れたりしていたが……それも小五の夏までの話である。
 傍から見れば友達かどうかすら疑ってしまう三人連れであったが、本人たちは至って満足していた。一切努力せずに築かれた不思議な友人関係は、筆舌に尽くしがたいほど居心地の良い、自然なものであった。
 しかし、とにかく、ものすごく、目立つ三人組であったのは確かである。

 『ヘヴィメタ』と『ギャンブラー』と『美少年』が、縁側で茶をすする老夫婦のようにツルんでいるのである。レンブラントが描いた涅槃像ほど、ありえない構図だ。
 幾度クラスメイトが変わっても、美術館に掲げられた名画のように、休み時間毎に繰り返されるその光景は変わることはなかった。そう、高校一年生の春までは――。

 そんな三人の関係に微妙な変化が訪れる高校時代を語る前に、中学校時代の面白いエピソードをいくつか紹介しようと思う。決してもったいをつけるわけではないのだが、三人の性格をよりご理解いただけると、筆者は考えたからだ。
 その名も、『光彦チョコレート事件』、『チャットDE純生』、『嵐のラン闘事件』である。
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