Sunday's RAN & xxx

「な、なんナンだよ?コレッ!」
「嵐、いいって云ったじゃない……今更酷いよ」
 と、双瞳を潤ませながら、嵐に詰め寄る純生。
「確かに云ったけど……こんなにデカいと思わなかったンだよッ!」
「中身は結構小さいんだから……いいよね?」
 小鳥のように首を傾げ、純生は嵐の顔を覗き込んだ。その儚げな容貌も、今の嵐には悪魔に見える。
「こんなの、入らないって」
「大丈夫。一昨日、ちゃんと確かめたし」
「ムリ。絶対、ムリ」
 嵐は、完全に逃げ腰であった。

「……どうでもいいがな。お前らの会話、取りようによっちゃ、かなりエロいぞ」
 いつのまにやら光彦が、門の外からニヤついた顔を覗かせていた。一体なにが『エロ』いのか――チェリー二人はキョトンと目を見開き、その場に佇んだ。
「これ、どうにかしてくれ。入れねぇ」
 そう――。この、塩田家門前を塞ぐダンボールの山が、嵐と純生の口論の原因であった。

 事の始まりは一昨日の金曜日。六時を過ぎても光彦は現れず、何となく気詰まりになった二人は、時間を持て余していた。嵐は黙々とフライングVの弦を弾いていたが、純生はロースペックのノートPCを弄るのに飽き飽きして、手持ち無沙汰にしていた。
「ねぇね。ここに僕のパソコン置いてもいい?」
 純生が冗談半分に、思いつきを口にした。嵐にとってパソコンとは、いつも純生が持ち歩いているものか、かつてお下がりで貰った(母屋で埃を被っている)ノートPCである。嵐は、その程度なら、と迂闊にも「いいよ」と、快諾してしまったのだ。
 が、しかし。今日、宅配便で届いたダンボールは実に三箱、中身は言わずもがな、純生お手製のタワー型PCとモニタ、その他諸々である。ヘヴィメタの城が電気の波に侵される、と焦った嵐は、言い募る純生の気勢に押されながらも、必死に両手を広げ、ユニットハウスのドアを守るように立ち塞いでいた。

「LinuxからXPに、わざわざOS乗せ変えたのにぃ……」
「リナ……? 日本語喋ってくれよッ!」
「DTMソフトだって、嵐のためにワレズいっぱい集めたんだよ」
「頼んでないしッ!」
(ちなみに、犯罪である)
「快適無線LAN組んであげるから」
「俺が、なんだって?」
「……おーい。純生に勝てるわけねぇだろ? 嵐、諦めろ」
 嵐の狼狽を楽しむようにニヤニヤと、光彦が塀向こうから野次を飛ばす。
「光彦ッ! 助けてくれたっていいだろッ!」
 殆ど泣きそうな嵐であった。

 純生の『お願い』に勝るものなし。 結局、煮るなり焼くなりどうとてもしやがれ、と嵐は部屋の隅で胡座をかいて、いそいそと荷解きを始めた二人を恨めしげに眺めていた。

「コンセント、どこー?」
 母屋での設定作業を終えた純生が、ひょっこりドアから顔を出した。未だ憤懣やる方がない嵐は、鼻を鳴らし本棚と壁の隙間に向けて顎を杓った。光彦が咥え煙草で、棚の前に積み上げられた雑誌類を避ける。
 純生は靴を脱ぐと、OA用タップの太いコードを右手に、雑誌の山と壁の間に上半身をねじ込み、手探りで差込口を探った。
「……ん?」
 隙間から半身を引き抜いた純生が、ヘタリと床に膝を付いた。両肩を微かに震わす純生の後姿は、然も泣いているようである。
「どした?」
 煙草の火を灰皿に擦り付け、光彦が純生の顔を覗き込む。すると、光彦までもがピタリとその動きを止めてしまい、嵐は不審に目を見張った。純生同様、光彦も肩を震わせているのだ。
 部屋の隅、大小の背中が小刻みに震動しているさまは、異様であった。二人がダンボールを開いてから、意地尽くで一声も発しなかった嵐だが…流石に怪しげな空気に首を傾げ、身を乗り出した。
「……何だよ?」
 問いかけに反応は無く、純生も光彦も無言で肩を震わせるばかりであった。何か判然としない。嵐は、とてつもなく大事なことを忘れているような、嫌な気分に苛まれた。ペラ、とページを捲る音が聞こえ、二人の肩の震動幅は更に大きくなる。

「――あぁッ!! お前らッ!」
 嵐が叫ぶと同時に、光彦も純生も、肺に溜め込んでいた息を「ブハッ」と噴出し、抱腹絶笑モードに突入した。嵐は俊敏な動きでガラステーブルを飛び越え、一気に部屋を斜めに横切ると、純生の手から二冊の大学ノートを取り上げた。
「かかか勝手に見るなよッ!」
 嵐の怒声は近所中に響いた。耳まで赤くして烈火の如く怒る姿も――今は滑稽としか云い様が無い、二人はさらに甲高い笑い声を上げた。
「み……光彦……、笑っちゃ……悪いよ」
 息も絶え絶えに、純生が擦れ声で云った。
「だってよ……サ、サイン練習帳って……嵐、お前……」
 こみ上げてくる笑いに耐え切れず、光彦は再び噴出すと、今度は身を投げ出して本格的に笑い転げた。もう止まらない。止めようが無かった。

 RAN、嵐、ラン――。
 筆記体だったり漢字だったり片仮名だったり。『サイン練習帳』と記された大学ノートに書き殴られたカラフルな線の周りには、星やハートが踊っていた。しかも二冊。伝説のギタリストになることを夢見る嵐、幼少時代からの――そのノートは歴史であった。決して笑ってはいけないのである。
 嵐は羞恥に、そして凄絶な怒火に全身を戦慄かせた。

「俺が」
 地鳴りのような殺気立った嵐の声に、二人は笑い顔のまま表情を凍らせた。嵐が、大きく息を吸い込む。
「有名になってもッ! 絶対、お前らにはサインやらないからなッ!」
 そう捨て台詞を残し、荒々しい足音と共に、嵐は母屋へと消えていった。



「らーん……」
「ランちゃーん」
「笑っちゃってごめーん……」
「俺らが悪かった、許せ~」

 嵐が部屋を去ってから、彼此一時間が経過した頃。猫なで声の二人が、母屋の玄関から居間の様子を窺っていた。嵐の母、朋子が「やぁだ、喧嘩?」と洗い物の手を休め、テレビに向かってコーヒーを啜る嵐の背に声をかけた。
「せっかく出来たお友達でしょ? あんなに謝ってるんだから、許してあげなさい」
 嵐は聞く耳持たぬ、とばかりにリモコンを取ると、テレビの音量を最大限まで上げた。朋子はエプロンで手を拭い、ツカツカとテレビに歩み寄ると、無情にも主電源を切った。
「どうせ観てないんだから、部屋に戻りなさい」
 仁王立ちする朋子を見上げ、嵐は諦めたように小さく息を吐くと、重い腰を上げた。

「エヘヘ……どう?」
 すっかり設定を終えたパソコンとその周辺機器群は、嵐の予想に反し、コンパクトに部屋の隅に収まっていた。ご丁寧に専用デスク付きである。しかし、嵐の心の傷は深い。簡単に二人を許す気になれず、憮然としていた。
 得意満面の純生が電源を入れると、耳心地良い起動音が流れモニタに火が灯る。マウスを使わず、目にも止まらぬ速さでキーを叩き続け、純生は次々にアプリケーションを立ち上げていく。
「ほら。嵐、見て。僕の部屋」
 画面に映された純生のパソコン専用部屋は、お手伝いの『ひろさん』が掃除機をかけている最中だった。
「これでねぇ、外国にいるマ……お母さんの顔見ながらお話できるんだよー」
「へぇ、すげぇな」
 光彦の感心頻りな声に興味を引かれたが……嵐は頑なに無関心を装った。
「DVDも観れるんだよ~」
「ほほぉ」
 光彦が如何にもわざとらしい合の手を入れる。
「ほらほら、打ち込みもできるよ~。MP3もバッチリ~」
「なるほどねぇ」
 小さなスピーカーから流れ出したメロディは、嵐の入場曲、スコーピオンズの『ROCK YOU LIKE A HURRICANE』であった。耳慣れたクラウス・マイネの歌声と、純生なりの気遣いに、心の箍が緩む。判定は、嵐の根負け、純生からパソコンのハウツーを教わることとなったのである。

「ランちゃん、お茶にしたら?」
 湯気立つカップの乗ったトレイを、朋子がドアの内側に滑らせた。コンポの上の置時計は、丁度三時を指している。
 三人はガラステーブルを囲み、コーヒーを啜った。光彦と純生は、努めてサイン練習帳について触れず、当り障りの無い会話をしていたが、思い出し笑いを必死に噛み殺しているのは見え透いていた。そんな二人を無視するように、ふと思いついた質問を嵐が光彦に投げた。

「そういや、光彦。金曜日なんでこなかったんだよ」
 深い意図は無い。鉄火場が長引いたとか面倒臭くなったとか。その程度のことだろうと嵐は予想していたが、
「あ、わりぃ。セックスしてた」
 光彦から返ってきた答えは、サイン練習帳どころではない、二人の度肝を抜くものであった。
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