Looser Boozers

 森は、通り雨に濡れた葉に日差しを乱反射させて、フォレストグリーンの炎を燃え立たせていた。空は眼窩にに痛みを感じるほど青く、その紺碧の檻のあちこちに白い巨人のような入道雲を飼っている。中天には、光線の傘をこれ見よがしに広げた発光体が、喧嘩を売りつけるような暑苦しさで居座っていた。
 からりと晴れた空とは対照的に、生乾きのアスファルトから立ち上る陽炎が視界を歪ませ、たまに風が吹いたと思えば、まるでドライヤーを吹き付けられているような錯覚に陥る。
 問答無用の夏――。夏が、ここ北軽井沢の山中を支配していた。

 三人はバスを降りてから、辛うじて車が一台通れる程度の細い急勾配の登り道を、もう三十分も歩いている。
「だから……駅からタクシー乗ろうって言ったのにぃ……」
 純生が、荒い息の下から泣きそうな声でそう漏らした。
「そんな贅沢できるか。ここまでいくらかかると思ってるんだよ」
 タクシー料金など、検討もつかないほどの距離をバスに揺られてきた。バスですら、千円を軽く越す料金だったのだ。
 三人それぞれの手には、ふもとのスーパーで買出した三日分の食料。一歩足を踏み出すたびに、ビニール袋がガサガサと暑苦しさを増幅させる耳障りな音を立てる。食料に加えて、菓子だコーラだ花火だと、後先考えずに買い込んでしまったことを、嵐は後悔していた。

 嵐は、持っていた二つの買い物袋を一手にまとめ、空いた手で純生のリュックを半ば強引に奪い取った。「ありがと」と呟くように言い、嵐の暗黙の『がんばれ』に応えるように純生は、ようやくのろのろと歩き始めた。
 十歩ほど先を行く光彦が、ふと立ち止まって両手の荷物を足元に置き、恨めしそうに太陽を仰いでから、汗で真っ黒に変色したグレーのTシャツを脱ぎだした。脱ぎながら、二人を振り返り、
「おせぇぞッ! そこのヘビメタと電波ッ!!」
 やり場のない暑さへの怒りを、嵐と純生にぶつけるように怒鳴る。
「うるさい体力バカッ!!」
 間髪いれずに、嵐は大声で対抗した。
 脳まで沸騰しそうな暑さに、嵐とて相当苛ついているのである。
 朋子に借りてきた草刈り用の麦藁帽は、つばの直径が六十センチはあろうか。黒い長袖シャツにジーンズという完全防備の出で立ち、背にはしっかりフライングV。
 嵐は、通販で買った三千円もする日焼け止めクリームを、バスを降りる前、肌の露出した部分にこれでもかと塗りこんできた。しかし、否応無く降り注ぐ強い日差しは、体表を覆うなにもかもを貫いて肌に突き刺さるようで、その感覚が一層嵐の神経を尖らせていた。

 ひたすらアスファルトを睨んで歩く嵐の頭上から――。
「純生ーッ! あれか?」
 このときばかりは野太い光彦の声も、天使の歌声に聞こえた。
 光彦の指差す先を見上げると、僅かに覗いた山肌から飾り気のない緑色の三角屋根がひょっこり頭を出していた。嵐と純生は、泣き笑いのような顔を互いに見合わせ、頷きあった。
 砂利が敷き詰められた細い間道に入って、坂を登りきったところに車二台分の駐車場があり、その向こうには、純生の祖父が六年の歳月をかけて完成させたと言う、こじんまりとしたログハウスが、森に溶け込むようにひっそりとしていた。


「天国だ……」
 最大まで風量を上げたエアコンの噴出し口に顔を向けて、三人は声を揃えた。
「ダメだ……。なンもヤル気がしねぇ……」
「僕、もう動けない……冷たいシャワー浴びたぁい……」
「これ以上日光に晒されたら俺はコゲる。間違いなく太陽に焼き殺される」
 嵐の言うこともあながち大袈裟だと思えないほどの真夏日。午後は、近くの牧場に行って乗馬に興ずる予定であったが、凶暴な日差しが燦々と降り注ぐ屋外に出て行く気力など、三人が三人とも微塵も残っていなかった。そもそもがインドア派なのである。
「……腹へったな。俺ら、朝六時に握りメシ食ったきりじゃねぇか」
 嵐と純生は、賛成の顔つきで応えた。
「あっさりしたものがいいな。冷たいそばとか」と、嵐。
「僕も」と、純生が続く。
 そして二人は、ポンと光彦の肩を叩いた。
「よろしく。料理係」
「クソ。やっぱり俺か」
 光彦は、苦虫を噛み潰したような顔をし、名残惜しそうにエアコンを見てから、キッチンへと向かった。

 包丁など、調理実習ぐらいでしか握ったことのない嵐と純生である。料理係は、必然的に光彦と決まった。指名を受けたとき、光彦は「店で出すもんしか作れねぇからヤダ」と駄々をこねたが、すぐに思い直して承諾した。中等部時代の調理実習で、嵐と純生が『お好み焼き』を『ソース味のクレープ』にしたことを思い出したからである。
 光彦は、偶の旅行の時くらい憧れの洋食を食したかった。朝食にはフレンチトーストとミルクティーを、昼食には半熟の玉子焼きが乗ったハンバーグを、夕食にはチーズにこんがりと焼き目のついたグラタンとバケットを。光彦、夢の一日フルコースである。
「やっぱ洋食くいてぇな。俺が作るとホッケだの焼き鳥だぞ? 夏なのに鍋になるぞ?」
 と愚痴を零す光彦に、
「じゃあ、ひろさんにきてもらう?」と、純生。
 その一言に、光彦は腕を組んで俯き、唸り声を上げながら考え込んだ。実は、純生宅で食べた『ひろさん』のグラタンの味が忘れられないのだ。
 が、しかし。如何な『ひろさん』といえ、女性と四日も同じ屋根の下となると、さすがに腰が引けた。結局、光彦は『よっちゃん』エプロンを持参することとなったのである。


 エアコンのお陰で、ログハウスの居間はようやく涼やかな風で満たされた。シャワーで汗を流しすっかり部屋着姿の嵐と純生は、絨毯の上にだらしなく寝そべり、バックギャモンで遊んでいる。
 茹で上がったそばを冷水に晒しながら、光彦はキッチンから頭だけ出して、腹立ち紛れに怒声を浴びせかけた。
「お前らも働けッ! コラ掃除係、寝てンじゃねぇよッ!」
 嵐は、気だるそうに上半身を起こして、ぐるりと部屋を見回した。

 六角形の居間の中心には太い柱と趣ある薪ストーブ、荒々しくも美しく丸太が組み上げられた壁には所狭しと彫刻の面が飾られ、一際目立つ場所に、古いネイティブ・アメリカンの肖像が掲げられている。床を覆う幾何学模様の絨毯は、ひと目で時代物と判るもので、無機質なエアコンは、格子に組んだ木材で目隠しするほどの拘りぶりだ。まるで、インディアンのティピーを彷彿とさせる内装は、純生の祖父が、肖像の主ジェロニモに心酔していることの証であった。
 どこもかしこも手入れが行き届いており、塵一つ見当たらない。
「掃除……たって、するとこ無いじゃないか」
「うん。おじいちゃん、昨日来たみたい。冷蔵庫にスイカ入れといたって電話あったもん」
「……いいおじいさんだな」
 嵐が関心したように言うと、純生はつんと顎を突き出して自慢げに微笑んだ。

「――ホレ、出来たぞ」
 半割りの丸太を組み合わせたログテーブルの中央に、光彦がドンと置いた大きなザルには、こんもり三人分の蕎麦がよそられている。山頂には、さらにネギの小山と乱暴に千切っただけの海苔。そのこだわりの無さが如何にも光彦らしい――のだが。
「親父さんの盛り付けはキレイだったぞ? もうちょっとさぁ……」
 減退気味の食欲に追い討ちをかけるかの如く無味乾燥なそばの山は、嵐をげんなりさせた。初めて光彦の手料理を味わう期待感を表情に滲ませつつ、純生がテーブルにつく。
「ザルにそばでザルそばだろうが。ガタガタ抜かさずに食え。有難がって食いやがれ」
 言いながら光彦は、マグカップに入ったそばつゆを二人の前に置いた。嵐と純生は、マグカップを見てようやく、皿の収納されている場所が分からなかったのだと理解し、居間とキッチンを別つ壁の低い位置に据えられた小さな食器棚に眼を送った。つられて二人の見た方角に顔を向けた光彦は、
「……コラ、雑用係。皿の場所ぐれぇ教えとけ」
 と、純生の額を割り箸の先で小突いた。
 早速、箸で掴む限界を超えるほどのそばをマグカップに沈める光彦を見て、教えたところで盛り付けは同じだったように感じているのは、純生だけではなかった。
 一口食べてすぐに、二人は賞賛の眼差しを光彦に送った。そば自体は安い市販の乾麺で可もなく不可もない味であったが、光彦が「出汁からとったんだぞ」と恩着せがましく言ったそばつゆは、一味違ったのだ。

 食後、光彦がシャワーを浴びている間に後片付けを済ませた嵐と純生は、出発前に純生の作成した予定表を眺めていた。午後の乗馬といい、二日目の夜に食べるはずだったそばといい、早々に蹉跌をきたした予定表は、如何に三人が団体行動に不向きな性格であるかを皮肉にも証明している。
「夕飯は、牧場でバーベキューの予定だったけど……?」
 純生の問いかけに無表情で応えて、嵐は、おもむろに壁に立てかけてあったフライングVを手に取った。純生も、続いてノートパソコンを取り出す。シャワーから戻ってきた光彦は、二人を見て全て納得した様子で、居間にごろりと寝転び、競馬新聞を広げた。
 光彦が昼食を用意したという以外は、嵐の部屋に於ける休日の過ごし方と何ら変わらない。パソコンのキーを叩く音、イヤホンから漏れる競馬中継のアナウンス、ギターを爪弾いてはコードをノートにメモしている嵐の、鉛筆の音。それらが不思議と協和音を織り成す。時折、思い出したように取るに足りない短い会話を交わす――いつもの心地よい空気。

 そうこうしているうちに無駄に時間は過ぎて、すっかり陽は落ちてしまった。
「腹へったな」と、光彦。
「頼んだぞ」「お願い」と、二人が声を揃える。
「クソ。やっぱり俺かよ」
 ――会話がループしていることに、はたして三人は気付いているのであろうか。


「光彦――これって……」
 もずく酢の小鉢やホッケの皿に混じって、ポテトチップやイカの燻製の袋。夕飯というよりは酒の肴が数品並べられたテーブルの真ん中に鎮座するものを凝視して、嵐は唖然と呟いた。
「お前が言い出したことだろ? 親父に殴られる覚悟で、クソ重いの持ってきたんだからな」
 すっかり困惑した顔でテーブルの前で棒立ちしている嵐の視線の先には、『純米大吟醸』と金色の筆文字で書かれた一升瓶があった。
「僕、ワインがいいな……。日本酒ってあんまり好きじゃないんだよね」
「えッ!? 純生、酒飲んだことあるのか!?」
「半分フランス人だよ? ディナーにワインはデフォルト……だけど、このメニューじゃね」
 すまし顔で答える純生を見て、何故だか言いようも無い敗北感が嵐のうちに湧き上がった。

 親の眼を盗んで酒盛りとは。一瞬、母の笑顔が脳裏に過ぎる。
 監督者無しの旅行に小言一つ言わず送り出してくれた両親の信頼を裏切るようで胸が痛んだが、純生に負けたくないという妙な競争心が、嵐の背中を押した。
「よ、よし――。飲もうじゃないか。光彦、コップがひとつ足りないぞ」
「あ? ……ちゃんと三つあるぞ?」
 嵐が勢い良く人差し指を向けた方角を見て、光彦は心底呆れ返ったように嘆息した。
「おーい……。予約した上に抽選で当たんなきゃ買えねぇ酒だぞー? ギターに飲ませるつもりかよ」
「俺のアルコールデビューだ。Vにも付き合ってもらう」
 鼻息荒くそう言って、嵐は、渋々差し出した光彦の手からグラスを奪い取った。背に感じる恨めしげな視線もなんのその、フライングVの前へ置いたグラスに、大吟醸を惜しげなく一杯に注ぐ嵐であった。

 控えめにグラスの淵を合わせて乾杯したあと、嵐は、何食わぬ顔で酒を口へと運ぶ二人を横目で窺い、そして難しい顔でグラスへと視線を落とした。
「飲まないの?」
「飲むよ」
 即答してはみたものの、幼少時代に麦茶と間違えて飲んでしまった気の抜けたビールの味が、妙に生々しく舌に蘇る。大人はこんな不味いものを飲んで喜んでいるのかと、ちょっとしたカルチャー・ショックだったのだ。
「皇室御用達だぞ」と光彦に押し込まれ、
「うるさいな。飲むってば」
 嵐はようやく、戦々恐々とした面持ちでグラスを口へと運んだ。
 天井を睨みながら、コクリと咽を鳴らして酒を嚥下したまま動かずにいる嵐の反応を興味深げに見ていた純生が、「どう?」と、堪りかねた様子で訊いた。
「……美味いなぁ……」
 嵐は、我知らず陶然とそう漏らしていた。咽奥へとすり落ちていった滑沢とした液体は、フルーツの香りを彷彿させるさわやかな吟醸香で口腔を満たし、嵐を恍惚とさせていた。
「当たり前だ。大吟醸だぞ? 米を極限まで磨いた酒だ」
 言うが早いか、光彦は一升瓶を取り、未だ一センチしか減っていない嵐のグラスに酒を注ぎ足した。
 

 自らを「ザル」と称したとおり、グラスを乾すのは嵐と純生の倍の速さだというのに、光彦は、悠揚として『峰』の火先を瞬かせている。純生は、首まで真っ赤に染めつつも話し方もその内容も全くしっかりしたもので、強いて言うなら普段よりやや弄舌、といったところである。
 一升瓶も半分空こうという頃、嵐はしみじみとした口調で言った。
「俺って酒強かったんだなぁ……。裸踊りの人みたいになったら、どうしようかと思ったよ」
「岩井のおっさんか? ありゃ、好きでやってンだ。デカさとムケてんの、自慢してぇんだよ」
 確かに……、とバイト時の記憶を反芻するも、光彦のシモネタに付き合えるほど経験値は高くない。嵐は、すぐさま話題を切り替えた。
「そういや、店では演歌ばっかり流れてたな。光彦の演歌好きは分かるとして……純生って、音楽なに聴くんだ? やっぱりクラシックか?」
 純生の唇が「マ」の形に開いたところで、すかさず光彦が「ママンでいいぞ」、と冷やかし口調で言う。純生は、ムッと顎に皺と寄せた。
 今まで、「マ」と言いかけては「お母さん」と換言を繰り返してきたのは、幼稚園時代に母の呼び方で散々からかわれたのが純生のトラウマとなっているからだ。

 純生は、戸惑いがちにグラスの淵を指でなぞり、嵐を上目で窺いながら小声で言った。
「……お母さんの影響でクラシックも聴くけど、普段良く聴いてるのは……――嵐、怒らない?」
「は? 怒るわけないだろ?」
 先を促すように、嵐が優しい顔を作って頷きかける。
「……ハウス……とかテクノとか、ユーロビー……――ほら、やっぱり怒った」
 純生がもう一言、トランスだのドラムンベースと付け加えていたら、間違いなくテーブルをひっくり返していたであろう嵐の顔には、超極太のゴシック体で『不愉快』と書いてあった。
 ハウス、テクノ、ユーロビート。もれなく、嵐の毛嫌いするチャカピコ音の集合体だ。
「だ――だってメガデモ世代なんだもんッ! モッド聴いて育ったんだもんッ! スジガネ入ったパソコンオタクなんだよ僕ッ!!」
 自らを筋金入りオタクと称して憚らないその精神は、ある意味アッパレである。純生の気勢に圧され薄らいだものの、だが嵐の顔はやっぱり『不愉快』のままだ。
「パソコンオタクって、フツーはアニメの歌とかじゃねぇの?」
 と、光彦。純生はたちまちいきり立ち、甲走った声を上げた。
「一緒にするなッ! パソコンとアニメじゃ、オタクのジャンルが違うッ!」
「セットかと思ってたぞ、俺は」
 怪訝な顔つきで答える光彦に、もちろん悪気は無い。

 突如、嵐の重々しい咳払いが、二人の会話を遮った。
「光彦……。俺は、ずっと光彦に言いたかったことがある」
「あ? ……なンだよ」
 喧嘩腰な嵐の物言いに、光彦が顎を引いて身構える。
「俺の城は今度から禁煙だ。大体、防音仕様で蟻一匹もぐり込めないような密室空間で煙草吸うなよ。換気が大変だろ? 最近、壁が黄色くなってきたような気がするぞ」
  そんなことかと眉を開いて、
「兄貴は吸うんだろ? カタイこと言うな。それに、あの部屋はもうお前だけの部屋じゃねぇぞ。な、純生」
 純生は、不穏な空気に居すくまり、賛成とも反対ともつかない微妙な顔つきで日本酒を啜っている。
「兄貴はたまにしかこないからいいんだよ。――俺の言いたいことはもう一つあるぞ」
「説教上戸のオヤジかよ。勘弁してくれや」
 光彦は、嵐の顔を狙って溜息まじりの煙を吐き出した。忙しく両手のひらをはためかせて煙を追いやると、嵐は、むんずと一升瓶を取って残り少なくなった自分のグラスに酒を注ぎ足した。
「光彦。ヘビメタってなんだよ、ヘビメタって。ヘヴィ・メタルだぞ。発音は”V”だ。ヘヴィィィィィー・メタルだ、俺は」
「日本男児にVとBの発音の違いなんか説くな。大して変わンねぇだろ?」
「ヘヴィ・メタルの語源はな、かのステッペン・ウルフが名曲『ボーン・トゥ・ビー・ワイルド』で、カスタム・ハーレーのことを『ヘヴィ・メタル・サンダー』って呼んだところから始まってるんだ。ヘヴィは”重い”、メタルは”金属”――元来、比重五.〇以上の重金属のことだ。アルミやチタンじゃないんだぞ? 気が抜けるんだよ、ヘビメタって呼ばれると」
 かのステッペン・ウルフ、と言われても、光彦と純生にしてみれば「誰ソレ?」、としか反応のしようが無い。

 そうして始まったのが、『ラウドロックとは何ぞや』の大演説である。
 ビートルズを皮切りに、ガレージ、サイケデリックと六十年代ロック・シーンをさらりと解説し、やがて七十年代へ、嵐のありがたくも大迷惑な説教は、プログレ、グラム・ロックと続く。ハード・ロック御三家(レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、ブラック・サバス)の名が連ねられる頃には、嵐の弁舌は絶好調であった。

 嵐は、酔うと説教魔になる最悪のタイプだったのだ。
 光彦と純生は、無口で無愛想と評されるのが常である嵐の、機関銃のように動く唇と目まぐるしく変わる表情、派手なゼスチャーを交えながら喧々囂々と語る姿に、茫然と見入っていた。

 ハード・ロック全盛期をたっぷり一時間語ったのち、七十年代後半、いよいよヘヴィ・メタル黄金期と呼ばれる時代に差し迫り、己が神と崇めるM・シェンガーの名が嵐の口から飛び出した、その時。
 電池が切れた――まさに、この表現がぴったりである。
 嵐は、すっくと立ち上がると、
「俺、寝る」
 とだけ一言残し、スタスタと居間の中央まで行き、そのまま大の字に倒れこんで事切れたように眠ってしまった。


 静まり返った室内に忍び込んできたのは、サワサワと木々を揺らす風の音――ついさっきまで煌々としていた部屋の照明が、妙に心もとないものに思えてきて、純生は、無意識に声を顰めた。
「――寝ちゃったね」
「メーワクな奴め……。酒乱の乱はアラシの嵐だな。珍しいモン見た」
 棘のある口調に反して、嵐の寝姿を見守る光彦の眼差しはなだらかだ。
「十年分くらいしゃべったんじゃないかな。嵐らしいっていうか。――さて……と。僕も寝ようっと」
「もう寝るのか? 酒、残ってンぞ」
 純生は、えへへ、と光彦に照れ笑いを投げかけて、いそいそと別室へ続く短い廊下を駆けていった。毛布を持って戻ってくると、それを嵐の身体にそっと被せ、当然のように横に潜り込んだ。どうやら、味を占めたらしい。
「嵐ってねぇ、寝てると死体みたいだけど、意外に体温高いんだよね。あったかくって気持ちいいの」
 死体呼ばわりされても当の本人はすでに夢境の住人である。嵐の二の腕にちょんと頭を乗せ、純生は、まるで親鳥の羽にくるまれているように安心しきった表情で毛布に包まった。

「……そうなのか。じゃ、俺も」
 胡坐を解き片膝を立てた光彦を、キッと純生が睨めつける。
「ダメに決まってるでしょ? 光彦はロフトで寝るの」
「冷てぇこと言うな。サベツ反対」
「差別じゃない、区別だもん」
 光彦をもう一睨みして、再び毛布に潜り込んだ純生は、野良猫でも追い払うかのように手を泳がせた。
 刹那、大の字になって寝ていた嵐が寝返りを打った。丁度抱きかかえられる形となり、純生は、咽でも鳴らしそうな勢いで嵐の頬に額を摺り寄せた。その様子を呆れたように眺め、光彦が言う。
「お前――そンなんじゃ、嵐に襲われても文句言えねぇな」
「嵐はそんなことしない」
「嵐だって男だ。下半身の暴走は止めらんねぇぞ」
「男だからしないんでしょ? 光彦の言ってることヘンだよ」
「……俺ならするってのかよ?」
 光彦の声には今ひとつ張りがない。眼線は、寝返りを打った拍子に捲れ上がったTシャツから覗いている、嵐の白い脇腹に釘付けである。その眼差しに気付いたのか嵐の身体に毛布を掛けなおして、純生は「おやすみ」と冷たく言い捨てた。

 純生が穏やかな寝息をたて始めてしばらく、一人グラスを傾けていた光彦は、ぶるんと身を振るわせた。真夏とはいえ、高原の夜は冷える――まして、もう朝と言える時間帯である。
 光彦は、三センチほど酒が残された一升瓶を担いで、ロフトへと続く梯子を上った。
 僅か一畳ほどのロフトは、丁度、居間を見下ろす場所に据えられている。スプリング入りのマットレスが敷かれており、寝転ぶと天窓から白んだ空に瞬く星々が見えて、絨毯一枚の床に寝る二人より余程待遇は良いのだが、光彦は不満だった。
 仲睦まじく寄り添って寝る二人を高い位置からぼんやり眺めながら。
「……随分じゃねぇか……」
 光彦は、酔えない己を心から呪った。



※メガデモ(デモシーン):フィンランド発祥のコンピュータ・サブカルチャー。コーダー(プログラマー)、グラフィッカー、サウンドクリエイターがチームを組み、それぞれの持てる技術を駆使して美しい映像作品(デモ)を創り上げる。デモパーティーと呼ばれる場で作品を発表するその目的は、純粋に実力を世に示すため。MODは、MIDIよりバリエーション豊かな音を再現できるため、90年代のデモ作品に多く使われたファイル形式のひとつ。ハウス、テクノ系が主。ひたすら観る側ですが、管理人も嵌った過去アリ。 ※参考資料:ハード&ヘヴィ/音楽之友社|スーパー・ロック・ギタリスト/シンコー・ミュージック|他、手持ち音楽誌エトセトラ(深くツッコまれると泣きます)
※Looser Boozers:半造語。Loserが正解ですが、oをイッコ増やしたほうが見てくれがよかったので。
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