MACARONI AU GRATIN

 残り四分の一となった白菜と南瓜、切れ端しか残っていない人参、鶏肉、チーズ、牛乳――。
 テーブル上に並べられたそれらを厳しい眼つきで見据えながら、 光彦が、なにやら考え込んでいる風に佇んでいる。おもむろに白菜を手にとってブツブツと独り言を呟いたかと思うと、キッチンまで行って冷蔵庫のドアの前にしゃがみこんで調味料の類を眺めるだけ眺めてから、またテーブルに戻ってきた光彦は、気だるそうに椅子に腰を降ろし、『峰』に火を点した。
「光彦、まだかよ!?」
  手持ち無沙汰に、トランプで一人神経衰弱をしていた嵐が、いつまでも帰ってこない対戦相手に向けて、居間から腹立ち紛れの声を飛ばした。昼からのトランプ大会で連戦連敗を記している嵐は、光彦の鼻を明かすべく、一分一秒でも早く次なる勝負を挑みたいのである。夕食のメニューなど、パンの耳で充分なのだ。
 嵐の傍らに枕を抱え込んで寝そべっていた純生は、光彦の様子を訝しんで、むくりと身体を起こした。

「……灰が落ちそう」
 純生から差し出された灰皿に、光彦は、器用に歯でフィルター部分を弾いて、火先から灰を落とした。純生は、テーブルを挟んで座り光彦の仕草を真似るように頬杖をつくと、その視線の先にある食材のひとつひとつに、丁寧に視線を巡らせた。
「……ねぇね。夕ごはん、作らないの?」
 その問いは、光彦の耳まで届かなかったようである。 やがて、痺れを切らした嵐が苛立ちを足音に乗せてテーブルまでやってきた。ようやく顔を上げた光彦は、妙な真剣味を滲ませる眼差しを嵐へと向け、
「なぁ……、これでグラタンが作れそうな気がしねぇか……?」
「……ぐらたん?」
 その瞳に期待感たっぷりの輝きを見て取った嵐はすっかり気を削がれた様子で、光彦の横に座り同じく頬杖をついた。
 嵐と純生は、日頃食卓に上がるグラタンを思い描いてしばし黙考したが、魚は切り身が海に泳いでいるとさえ考えかねないほど、料理に関しては無知も甚だしい。眼の前の食材でグラタンができるような気もするし、その反対も然り――だが、そんな二人でも気付くようなグラタンの要たる食材が、ぽっかり抜けていた。
「あれ? マカロニが無いぞ」
「米を代用する」
 視線を交わし合った嵐と純生は、互いに同じことを考えていると悟った。しかし、グラタンに思いを馳せて心なしか瞳を輝かせている光彦に、水を差すのもいかがなものか。そもそも、光彦を食事係に決めたとき、何を出されても文句を言うな、と釘を刺されているのだ。
「埒が明かねぇな。……まぁ、作ってみるか」
 そう言って『よっちゃん』エプロンを纏った光彦は、食材をまとめて抱え込むと、鼻歌混じりでキッチンへと消えていった。

 雨音に混じって小気味良い包丁の音が聞こえてきた。光彦の鼻歌も続いている。頬杖のまま、ぼんやりキッチンの方角に顔を向けていた嵐が、ぽつりと呟いた。
「ドリアだよな……」
「うん。ドリアだよ……」
 材料の詳細は分からずとも、洋食メニューの定番であるグラタンとドリアの判別ぐらいはつく。一抹の不安を抱きながらも、二人はじっと料理の完成を待った。
「なんか……お味噌汁の匂いがしてきたんだけど……」
 和洋折衷も極まれり――な、如何とも例えようのない香りが漂ってきて、ついに二人の不安も頂点に達し、嵐と純生は息を合わせて席を立った。

 調理台には、すっかり下ごしらえの済んだ食材の数々。その横に立つ光彦は、鼻歌のリズムに合わせて鍋をかき回している。嵐と純生は、光彦の背中越しに鍋の中を覗き込んだ。
 木杓子で丁寧になべ底に線を引き、白味噌を牛乳で溶き伸ばしていく光彦――見た目は、見事なまでにベシャメルソースであったが、香りは限りなく味噌汁のそれに近い。
「……ねぇね、グラタンってお味噌で作るの?」 と、純生。
「知るか」
「普通はさ、料理って本とか見ながら作るもんじゃないのか?」と、嵐。
「親父は本なんか見ねぇぞ」
  木杓子に絡め取ったグラタンソース(光彦風)が、トロリと垂れ落ちるのを満足そうに見て、
「な? どっからどう見てもグラタンのソースだろうが」
 言ってすぐ光彦は、「気分だ、気分」と付け足した。
 しばらくは二人の質問攻勢に得意げに応えていた光彦であったが、キッチンは二畳ほどの広さしかない。嵐と純生にうろちょろされて思うように動けずさすがに鬱陶しくなったのか、光彦は冷ややかに二人を睨め付けた。
「いい加減、暑苦しいぞ。邪魔すンじゃねぇよ、大人しくテーブルで待ってろ」
 つい先ほどまではパンの耳で良いとすら考えていたのに、意外にも、和洋折衷な香りは馥郁たるもので、嵐の食欲をそそった。今となっては料理の完成が待ち遠しくて仕方がない。
  ――頼むから食えるモン作ってくれよ。
  声にこそ出さなかったが、嵐は心からそう願った。


 ベシャメルソースの上に溶けたバター、ほどよく焼き目のついたチーズは見た目にも香ばしく、代用したという米はソースの下に完全に隠れて、どこからどうみても――。
「グラタンだな……」
「うん。グラタンだよね……」
 だが、味の想像が全くつかない。複雑な顔つきでテーブルについた嵐と純生は、両手を膝に置いたまま眼の前のグラタン皿を見下ろすばかりで、なかなかスプーンを取ろうとしない。
「冷めるぞ。食え」
 どこか悄然とした光彦の声音が、結果を物語っていた。よもや腹を壊すようなことはあるまいとスプーンを手にし、恐る恐るグラタンを一さじすくったところまでは良いが、食す勇気はまだ出ない。嵐は、ぎこちない微笑すら浮かべて穏やかに訊いた。
「これ、味見したか?」
「まぁ……食ってみろ」
 曖昧すぎる返事。
 少なからず、光彦が自分たちのために食事をつくってくれた労力には感謝したい。覚悟を決めた嵐と純生は、深く頷き合ってから、スプーンを口へと運んだ。

 虚空を仰いでじっくりと舌で味わい――やがて二人は、ぱっと顔を輝かせた。
 南瓜は甘く、チーズの塩気と絶妙なバランスで絡み合いながら、ほっこりと口の中でほどけた。白菜はなめらかなソースとともに舌の上でとろけ、鶏のぷりぷりとした食感と豊かな風味は、二人を恍惚とさせた。
「お……美味しい! 美味しいよ、光彦!! ……食べたことない味だけど」
「確かに美味い。……食ったこと無」
 嵐は、続きを飲み込んだ。賛辞のつもりの言葉に、皆まで言うなと光彦が眉を寄せたからだ。
 美味い。それは二人の素直な感想であったが、しかし味は、ミルキーで濃厚な、白味噌と昆布だしであった。
「こんなの……グラタンじゃねぇよ……」
 どうやら光彦は不満らしいが、二人の評判には気を良くしているようである。黙々とグラタンを平らげていくその顔をしげしげと見て、嵐は、次の光彦の誕生日プレゼントは、洋食のレシピ本にしようと心に決めた。
 期せずして、光彦作のグラタン――もといドリアは美味であった。
 そして、完膚無きまでに『和食』であった。

※そんな人はいないと思いますが一応。間違えても『作ってみよう』などと、おかしな考えを起こさないでください。<(_ _)>
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