相手は、一回りも年上の牧田。二十三の俺にとって三十五なんて、はっきり言ってオッサンだよ、オッサン。……オッサンなんだけど……牧田は、とにかく変わったヤツだったんだ。

 顔は十人並み、背は俺よりちょっと高いくらいで、可もなく不可もない容姿。ジャケットは今時紺ブレ、ズボンはいつもよれよれで、ソックスはグンゼの白。ダサい通り越してほとんど高校生の制服だぜ? 一見若く見えるから、そんなに違和感ないんだけどさ。
 営業のくせにやたら無口でおまけに無愛想、ナニ考えてるのか、全然分かんないの。

 笑っちゃうのはさ、大阪出身ってわけでもないのに、牧田が筋金入りの阪神タイガースファンってこと。机の周り中、黄色と黒のシマシマ模様で溢れかえってんだよ。鉛筆一本に至るまでトラグッズで固めてんだぜ? 神宮で試合のある日は、朝からタテ縞のハッピ着て社内歩き回ってさ、夕方四時には忽然と姿を消すんだ。
 机の下には『ドカベン』全四十八巻と『キャプテン』全二十六巻がキレーに並べて置いてあって――会社に漫画ってアリなの? てか『タッチ』は? ねぇ『タッチ』はどこ?

 新人って世話好きな連中が何かと構いたがるから、去年、俺は毎日のように飲みに誘われてた。牧田は、意外にも付き合いがいいヤツみたいで、必ず飲み会の席に現れたんだ。
 ところが乾杯ビールからお開きまで、コイツひとっことも喋らないんだよ。ツマミも食わずに飲んで、煙草吸って、飲んで、煙草吸って――周りの連中は慣れてる風で、牧田のことはほったらかし。コイツは一体ナニしにきてるんだ? って毎回不思議に思ってた。

 まさかカラオケにはこないだろうと思うよな? ある日、「今日はカラオケにしましょう」って飲み会幹事に提案してみたんだ――きちゃったよ、牧田。カラオケ。
 歌うかと思いきや、相変わらず飲む、煙草、飲む、煙草で、席の端っこでむっつりしてるだけ。時間が来て、さあ最後の曲って時に、牧田は無言で立ち上がってさ、慣れた手つきで機械に番号打ち込んだんだ。
 牧田がトリかよッ! って心の中でツッコんでる間に、流れてきた曲が……え? 六甲おろし?……第二営業部カラオケ大会の、シメの曲は必ずこれなんだって。最後に皆で『六甲おろし』大合唱、牧田はそれをただ聴いてるだけ。
 ここは東京のド真ん中だぜ? 『闘魂込めて』歌えよ、お前らッ!――開いた口って本当に塞がらなくなるんだって、俺は初めて知ったね。

 牧田の昼休みは、近所のスタバで買ってきたキャラメルマキアート飲みながら、スポーツ新聞広げてるか休憩室で『おもいッきりテレビ』見てるか……司馬遼太郎読んでるか。どう考えても、キャラメルマキアートとみのもんたと竜馬がゆくって繋がんないから、ぜんっぜん。
 数字が仕事の営業なのに、売り上げ伝票なんて超いい加減だし、その上、締め日を守らない。経理の女の子、毎月月末に残業で泣いてたよ。

 それなのに――それなのに、だ。牧田の役職は課長補佐。こんなヤツが課長一歩手前だなんて、俺、ヤバい会社に入っちゃったんじゃないかって、めちゃくちゃ不安になった。せっかく念願の……一流企業とまでは言えないけど、まぁそれなりの会社に潜り込めたってのに、そこは『釣りバカ日誌』の世界だったんだ。ウチの社長は猛烈な阪神ファンで、牧田と社長はマキちゃんスーさんと呼び合う仲じゃないかと、俺は本気で疑ったよ。

 もっとも謎だったのは、牧田が半端じゃなく女にもてるって事実。新人の耳にも入ってくるぐらい社内外で浮名流しててさ、その数が一人や二人じゃない。派遣の受付嬢から取引先の金髪美人まで、未だに独身なのは、女に不自由したことないからなんだって、お節介な先輩が教えてくれた。なんで? どうして? 三十五でグンゼの靴下履いてんだよ? ……もはや異次元ワールドの話だよね。

 俺はさ、周囲の人間を適当に手玉にとってきたつもりの人間だから、操縦不能の読めないヤツって苦手なんだ。だけど、牧田見るたび脳内ツッコミ炸裂しまくっちゃって、観察日記でもつけてやろうかと思ったぐらい――見てるだけで楽しいんだ。絶対、傍には寄りたく無かったけど。

 ある日、喫煙所に分厚い皮製のシステム手帳が置きっ放しになってたんだ。その時、俺以外喫煙所にいなかったし、誰のかと思って軽い気持ちでペラペラ捲ってみちゃったんだよね。
 どのページにもミクロサイズの文字で取引先のデータとか、打ち合わせスケジュールがびっしり書き込んであって、持ち主は随分几帳面な奴だなぁって感心してたら、「俺ンだ」って背後から声が――我が目を疑ったよ。牧田のだったんだ。

 牧田の声聞いたの、そのときが初めてだった。無言で手を差し出す牧田に、俺はとんでもないことを口走ってた。「今度、サシで飲みに行きませんか?」って。……もうビックリ! この俺が、自分から誰かをどこかに誘うなんて、生まれて初めてのことなんだから。
 突然の俺の誘いに驚きもせず、牧田は「六時に”呑ん気”な」ってそれだけ言って――コイツ喋んないのに、サシでどうやって間をもたせろってんだ、俺ッ!

 あとで分かったことなんだけど、牧田の売り上げってさ、全営業部通してトップなの。道理で、あの怪しい行動パターンに誰も文句言えないはずだよ。能ある鷹は――虎の方がいいな――能ある虎はツメを隠す、のいい見本。あの手帳見る前だったら、牧田の営業成績に頭かかえてただろうけどね。

 俺としたことが、その売り上げ額聞いた時、牧田のことちょっとカッコいいって……思っちゃったんだ。
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